〈勝田線廃線跡〉志免駅跡の鉄道公園を見下ろす旧志免鉱業所竪坑櫓

石炭全盛期の輸送を担った「勝田線」

福岡県福岡市博多区の吉塚駅から糟屋(かすや)郡宇美町の筑前勝田駅を結んでいた勝田線。
九州北部には多くの炭田があり、糟屋(かすや)炭田もその一つでした。日本の近代工業化の重要なエネルギーとして石炭が重要な役割を担っていた頃、糟屋(かすや)炭田で産出される石炭は勝田線により運搬されていました。旅客用列車も走っていましたが1日の石炭輸送が750トンに対し、乗客数は1日300人程度だったことから石炭輸送が主な輸送だったことがわかります。
1963年(昭和38年)の炭田閉山により周辺は衰退しましたが、福岡市に近いこともありベッドタウンとして、沿線は発展していきます。
しかし、沿線の人口は増加するも、勝田線のダイヤは1日6往復(休日は7往復)という不便さのままであったため、沿線住民の利用は便利なバスへと流れていきます。
そして1985年(昭和60年)4月1日に勝田線は廃止されることとなりました。
廃止後、廃線跡のほとんどは遊歩道に転用されています。

志免鉄道記念公園

志免駅跡はプラットホームや線路、信号機などが残され、志免鉄道記念公園として当時の面影を残しています。

志免駅跡(志免鉄道記念公園)

長かったホームも道路により分断されています。

志免駅跡(志免鉄道記念公園)

壁には現役当時の写真が埋め込まれていました。

志免駅跡(志免鉄道記念公園)

志免鉱業所竪坑櫓

志免鉄道記念公園の近くには、石炭全盛期の繁栄を歴史に残す志免鉱業所竪坑櫓がそびえ立っています。

志免鉱業所竪坑櫓

竪坑櫓とは、地上部分に設置された巻上機により運搬用のかごを昇降させることで石炭や労働者を地下と地上をエレベーターのように移動させることができる建造物です。

旧志免鉱業所竪坑櫓の下は深さ430mの穴が掘られ、採掘された石炭を竪坑櫓を使い運搬していました。

旧志免鉱業所竪坑櫓

建物の場所は志免町総合福祉施設シーメイトの敷地内、

周辺にある公園と昭和初期の遺産がミスマッチな雰囲気を醸し出しています。

現在、旧志免鉱業所竪坑櫓はカバーで覆われ、修復中です。

旧志免鉱業所竪坑櫓


高さ52.5mを誇る旧志免鉱業所竪坑櫓はわが国の近代建設の中でも価値が高く、国の重要文化財に指定されています。

この竪坑櫓の建つ高台からは住宅街が見下ろすことができます。

勝田線がもし残っていたなら、きっと通勤通学路線として十分活用されていたことでしょう。