門司駅が門司港駅に!?かつての九州の玄関口は門司港レトロへ…

現在の門司港駅、開業時は門司駅

本州と九州を隔てている関門海峡。
本州と九州を結ぶため、当時私鉄であった山陽鉄道傘下の山陽汽船が関門航路を開設しました。
九州の玄関口としてすでに1891年(明治24年)4月1日に開設されていた門司駅(現在の門司港駅)と
1901年(明治34年)5月27日に誕生した下関駅(当時は馬関駅)が船で結ばれることになりました。

門司港駅近くに九州鉄道時代の門司駅(今の門司港駅)駅名標と旧0哩標が復元されています。

関門連絡船の運行により本州と九州の往来が活発になり、門司駅(現在の門司港駅)は賑わいます。


その後1911年(明治44年)より下関 – 小森江間は「鉄道車両渡船」による車両航送が開始されます。「鉄道車両渡船」とは船内の線路を引いた船。
船内に貨車を載せ、荷物を積み替えすることなく運搬できるため関門海峡を渡る貨車は小森江を経由する関森航路(かんしんこうろ)を利用することになります。
関門連絡船の貨車利用はなくなり旅客利用のみとなります。
そして門司駅(現在の門司港駅)は1914年(大正3年)、現在の位置に移動し、新しい駅舎が完成。

九州の玄関口「門司」の新しい顔として中心的役割を果たします。

門司港駅
旧改札口

ホームにベンチ類が一切ないのが特徴です。

門司港駅

駅舎内にあるトイレの「幸運の手水鉢」。戦時中の貴金属供出をもまぬがれた1914年(大正3年)当時のものです。

幸運の手水鉢

関門トンネル開通で門司駅は門司港駅に

山陽本線の関門トンネルが1942年(昭和17年)に開通すると、門司駅の名前は山陽本線が接続された大里駅に譲り、門司駅は門司港駅と改称されることになります。
同時に、鉄道による本州からの人の流れから門司港駅が外れることになりました。

さらに戦後は、中国との貿易も途絶え、九州の玄関口としての地位も失速します。

国鉄の重要な施設は引き続き門司港駅のそばに置かれ、JR九州に変わっても北九州本社として営業されていましたが、2000年(平成12年)に福岡本社に統合されると北九州本社は閉鎖となります。

今や九州の玄関口の座は博多に奪わてしまいましたが、門司港駅周辺には、門司港駅をはじめ歴史的建造物が残り、「門司港レトロ」という新たな観光地として賑わっています。

近くには九州の鉄道の歴史がわかる九州鉄道記念館もあります。

九州鉄道記念館

本館は旧九州鉄道本社の建物が利用されています。

かつては門司駅と呼ばれていた門司港駅。人や物の流れが変わったことでその呼称を変えることになりましが、駅を中心とする重厚な街並みはまさに九州の玄関口そのものでした。

現役の駅舎で国の重要文化財に指定されているのは、現在、門司港駅と東京駅の2つだけ。古き良き時代を懐かしむには絶好の場所だと思います。