白金の歴史は深い!目黒の火薬製造所と鉄道で結ばれていた自然教育園

東京都港区白金。セレブの街としてのイメージが強い街ですが、その歴史を紐解くと白金の意外な一面を垣間見ることができました。

遡ること室町時代。この地を開墾した「柳下上総介(やぎしたかずさのすけ)」氏。大量の銀(シロカネ)を持っていたことから「白金長者」と呼ばれ、彼が治めた土地は「白金村」と称されるようになりました。
白金台5丁目にある「国立科学博物館附属自然教育園」には豪族が館を構えていたと伝えられている土塁や館の跡が見られます。

国立科学博物館附属自然教育園
土塁
館跡

「国立科学博物館附属自然教育園」のある場所は江戸時代に入ると高松藩主松平頼重(徳川光圀の兄)の下屋敷として用いられます。


しかし、明治維新を迎えると雰囲気は一変。
海軍省・陸軍省の管理下となり火薬庫として使用されることになりました。

山手線を挟んだ西側、目黒・三田村の火薬製造所(現在の防衛省防衛研究所)と白金の火薬庫の間に線路が敷かれ、軍用線として使用されます。
現在、軍用線は廃線となり道路などに転用されていますが、廃線跡に「陸軍境界石」が見られるなど
当時の面影がかすかに残されています。

1917年(大正6年)になると白金の火薬庫の所有は宮内省帝室林野局に移され「白金御料地」となりました。第二次世界大戦が始まり、戦局の悪化とともに「白金御料地」は田畑や防空壕に使用され、手入れの行き届かぬまま放置されることになります。

戦後は「旧白金御料地」として天然記念物および史跡に指定され、1962年(昭和37年)に「国立科学博物館附属自然教育園」として生まれ変わります。

長年、国有地だったことが幸いし、手付かずの自然が多く残されることに。

都会の中でありのままの自然が観察できる貴重な場所として、国立科学博物館附属自然教育園はレジャーだけでなく学術的視点からも注目されています。

時代によって顔を変えてきた「白金」の街。高級住宅やおしゃれなお店が並ぶ「白金」の街にかつて、火薬庫が置かれ、軍用線が敷設されていたとは思いもしませんでした。

歴史を学んで歩く「白金」の街は一味違う散策となりそうです。