和歌山線北宇智駅・五条駅・大和二見駅に残る鉄道遺構

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北宇智駅(スイッチバック)

和歌山線「北宇智駅」。
近畿二府四県で唯一、スイッチバックのある駅として有名でした。スイッチバックとは、坂を上がる時にジグザグに走ることで傾斜角度を緩やかにする運行方式です。「北宇智駅」付近は、見た目はそれほど傾斜のある地形のようには思えません。蒸気機関車の行き交うにはパワーが足りずにこの方式がとらえることとなりました。その後、蒸気機関車が廃止となり、すべての列車が電車に変わりましたが、スイッチバック方式はそのまま残っていました。
そして、2007年。ついにスイッチバック方式が廃止となります。
そのやめ、ホームや駅舎の位置が移動となり、旧駅舎は取り壊されていました。

北宇智駅の旧ホーム

五条駅(五新線)


「五条駅」と和歌山県新宮市の紀勢本線「新宮駅」、その距離およそ100kmを結ぶ壮大な計画がありました。
五条駅」と「新宮駅」の文字をとって五新線。沿線は豊富な吉野杉の産地であるため、その運搬に使用するためです。
五条駅」から西吉野村城戸までの路盤が完成するも、西吉野村内より鉄道敷設の反対意見が噴出します。鉄道ならば村内に設置する駅が少なくなるが、バスならば、停留所が多く設置されるため便利とのことです。五条 – 城戸間のうち11.7kmの路盤をバス専用道路として暫定開業し、その先は引き続き工事を進め、完成後はバス専用道路を鉄道に切り替えるという計画でおさまりました。しかし、モータリゼーションの進展により五新線の計画は中止。バス専用道路と並行する国道168号線の改良により、バス専用道路を走るバスも国道168号線へと切り替わることとなりました。
鉄道が走ることのなかった五新線ですが、あたかも廃線のように鉄道構造物が残っています。

五條駅付近の五新線遺構

大和二見駅〜川端駅

「大和二見駅」。

大和二見駅付近の廃線跡


「大和二見駅」から和歌山線から分岐し吉野川へ向かう廃線跡があります。1982年まで存在していた「川端駅」です。
吉野杉の運搬が「川端駅」を経由して行われていました。
木材だけでなく、野迫川村から索道によって運ばれた鉱石、砂利などの積み込みも行う駅として使用されていました。
やがてモータリゼーションの進展により貨物輸送はトラックへの転換、1982年10月1日に廃止となりました。

大和二見〜川端駅間の廃線跡

和歌山線の歴史は古く、大阪鉄道により「王寺駅」- 「高田駅」間が開通したのは1891年(明治24年)。その後、南和鉄道が1896年(明治29年)に「高田駅」 – 「五条駅」を開通。紀和鉄道により「五条駅」 – 「和歌山駅」・「和歌山市駅」間が開通したのは1900年(明治33年)のことでした。ローカルな雰囲気を残しながらも歴史的価値の高い路線となっています。