廃線跡の旅、鉄路の旅

阪和貨物線廃線跡を八尾駅から杉本町まで歩く

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阪和線と関西本線とを結ぶ「阪和貨物線」

大正飛行場(現在の八尾空港)への引き込み線として敷設された路線が戦後、竜華操車場と阪和線を結ぶ「阪和貨物線」として改良され1952年に開業。
「阪和貨物線」は阪和線と関西本線とを結ぶバイパス路線としての役目をもっていました。

多数の貨物列車が運転されていた他には、1965年3月〜1967年10月には「特急あすか」という優等列車が名古屋駅 – 東和歌山駅(現:和歌山駅)間を運行するため、この路線を走っていたことも。
また、定期列車ではありませんが、臨時列車や団体列車がこの路線を旅客輸送に使用されていました。

「阪和貨物線」の廃止

やがてモータリゼーションの進展により衰退、そして天王寺駅構内の関西本線と阪和線を結ぶ短絡線も複線化されたことで、「阪和貨物線」は2009年3月31日で廃止となりました。

この「阪和貨物線」は、バイパス的な性格を活かし、さまざまな計画が立てられていました。
例えば、出戸付近から泉北ニュータウンを経由して日根野へ新線を建設し、関西国際空港連絡線の一部に組み込む案。
おおさか東線と結び、首都圏の武蔵野線のように大環状線の一部を担う「大阪外環状線」計画。

しかし、地下鉄谷町線の延伸や大阪環状線と阪和線との直通運転開始などによりいずれも実現することはありませんでした。

「阪和貨物線」廃止後の姿

関西本線より分岐した廃線跡は進路を南へ向かいます。高架になる手前の平面道路との交差部分に踏切が残っていました。

国道25号線を乗り越えるあたりから、平野川を越えるために盛り土による高架がはじまります。

平野川を乗り越えていきます。

右は平野郷、左は大和川と記された駅標を模した看板。レールロードというマンションがありました。廃線マニアの心を揺さぶります。

地下鉄谷町線出戸駅をすぎると広大な跡地が広がります。「線路内通行及び耕作を禁ず」と記された看板が残っていました。このあたりから大正空港(八尾空港)へ向かう路線が東に向かっていたと思われます。「阪和貨物線」はさらに南へ進みます。

切り通しのような廃線跡が続きます。

下高野橋北側の大和川東公園も廃線跡です。

「杉本町駅」で阪和線とつながっていた

「杉本町駅」で阪和線とつながります。

杉本町駅

比較的、新しい廃線のためわかりやすい廃線跡となっています。

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