阪神電鉄の出屋敷駅から海岸へと伸びていた尼崎海岸線は
出屋敷駅、高洲駅、東浜駅のわずか3駅、1.7kmの短い支線。
1929年(昭和4年)4月に開業。工場地帯へのアクセスとして利用されていました。
しかし、これは計画のほんの一部。
阪神電鉄の「出屋敷駅」から海岸を通り「今津駅」までを結ぶ大計画「今津出屋敷線計画」の序章に過ぎませんでした、
この計画の発端は、当時の阪急が今津線を建設したことにより、危機感を感じた阪神電鉄が阪急がさらに南へと延伸することを阻止するためでした。
阪急と阪神の計画申請は、阪神側に軍配が上がり、甲子園線の一部(「浜甲子園駅」〜「中津浜駅」)とともに工事が進められますが
鳴尾付近に飛行場が建設されたため、「今津駅」へと目指す計画は中止となりました。
その後、武庫川線ができたことで、尼崎海岸線は武庫川線の「洲先駅」(現在の「武庫川団地前駅」)との接続が計画されますが、こちらも工事半ばで中止となりました。
1951年(昭和26年)地盤沈下による浸水で7月19日「高洲駅」-「東浜駅」間が休止。
その後、「出屋敷駅」の南側に第二阪神国道(現・国道43号線)の計画が立てられますが
第二阪神国道を通すには尼崎海岸線との交差部を立体化しなければなりません。
国道工事事務所からの補償金、そして当時臨時駅だった「尼崎センタープール前駅」の常設化工事を引き換えに阪神電鉄は尼崎海岸線全線廃止を決定。
1962年(昭和37年)をもって残された「出屋敷駅」- 「高洲駅間」も廃止となります。
それでは、尼崎海岸線の廃線跡を辿ることにしましょう。
起点の「出屋敷駅」。
尼崎海岸線は「出屋敷駅」から西へ少し進むと南へと向きを変えました。
出屋敷西公園がその廃線跡となります。
国道43号線を越えると廃線跡は「神戸風月堂」さんの敷地内を通ります。
不自然な斜めの道が廃線跡です。
廃線跡は県道341号線(出屋敷線)に合流。
西高洲町交差点付近が「高洲駅」跡付近です。
さたに海岸へと向かうと終点「東浜駅」跡です。
「今津出屋敷線計画」の一端をなしていた尼崎海岸線。完成していたなら、街の風景も変わっていたのことでしょう。