愛知県と三重県の間を流れる木曽川。川というよりはもう海のようです。
1895年(明治28年) 関西鉄道によりこの木曽川に初代・木曽川橋梁が架けられました。
その後、蒸気機関車の重量化・大型化のため、1928年(昭和3年)に2代目・木曽川橋梁が完成します。
そして、初代・木曽川橋梁は伊勢電気鉄道(現・近鉄)に払い下げられます。
蒸気機関車よりも軽量である電車が渡るため、古くなった橋の再利用は問題なかったようです。
当時は、民間鉄道会社にとって愛知・三重間を流れる木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)に新しく橋を架けることは技術・資金面の上で大変困難だったようです。
現在の近畿日本鉄道の原型となる路線網が着々と整備されると、スピードアップ化する上で名古屋線の狭軌がネックとなります。山田線・大阪線は標準軌のため、直通列車を走らせるためには線路幅を統一しなければなりません。
そこで近鉄名古屋線の拡幅工事が計画されます。
1959年(昭和34年)、標準軌に対応した木曽川橋が新設されますが、竣工当日夜に伊勢湾台風の上陸により大きな被害を受けます。
被害を受けた近鉄名古屋線は復旧を兼ねて拡幅工事が進められ、その二ヶ月後には驚異のスピードで工事を完了、名古屋と大阪、伊勢を結ぶ直通列車が行き交う路線へと生まれ変わりました。
近鉄名古屋線旧線の廃線跡は今も残ります。
旧線は関西本線を高架で乗り越えていました。
(地図表記を間違えていました。訂正の指示をくださった方どうもありがとうございます!助かりました!)
近鉄名古屋線の改良工事を襲った伊勢湾台風。
当時の近鉄の社長、佐伯氏は「災い転じて福となす」という発想でこの大きな苦難を乗り越えました。
今や近鉄名古屋線はスピードアップや増便で並走する関西本線を凌駕しています。