終着駅「武豊駅」と転車台の位置はなぜこんなに離れてるの?武豊線廃線跡の謎

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JRAの騎手と同じ名前で有名なJR東海武豊線「武豊駅」。騎手の名前は「たけゆたか」と読みますが、駅名は「たけとよ」駅と読みます。

武豊駅

武豊騎手のデビュー時は「タケトヨ〜」「タケトヨ〜」と呼ばれていたようですが、今では、知名度が逆転!?「武豊」と言えばほとんどの人(愛知県民以外?)は「たけゆたか」と読むのではないでしょうか…

武豊騎手も同名の縁でこの駅を訪れたこともあり、駅構内に武豊騎手のサインが飾られた時期もあったそうです。必勝祈願に全国各地からこの駅を訪れる競馬ファンも多いとか…?

競馬ファンにも人気の「武豊駅」ですが、実は鉄道ファンにも人気の駅です。
「武豊駅」から南に1km離れた場所に珍しい「転車台(ターンテーブル)」が保存されています。「転車台(ターンテーブル)」とは狭いスペースで車両の方向を変えるための機械のこと。

転車台

ここの「転車台」が貴重なのは〝日本で唯一現存する〟台上で線路が直角に交差する「直角二線式」タイプだからです。国の登録有形文化財にも登録されている貴重な鉄道遺産を一目見ようと訪れる鉄道ファンも多いようです。

転車台


なぜ、終着駅の「武豊駅」からこんなに離れた場所に「転車台(ターンテーブル)」があるのでしょう。

実は開業当時の「武豊駅」はこの「転車台(ターンテーブル)」の場所にありました。
1886年(明治19年)に「熱田駅」-「武豊駅」間が開業。東京と神戸を結ぶ鉄道への資材運搬線として建設されました。

海外から輸入されたレールや鉄橋が武豊港に陸揚げされ、「武豊駅」から鉄道で運ばれました。
1892年(明治25年)に現在の場所に移転。旧「武豊駅」は1930年(昭和5年)に「武豊港駅」として開業します。

国土地理院空中写真(昭和23年)
「武豊駅」の南側には空き地となった廃線跡が続いています。

高度成長期時代の訪れとともに、貨物輸送はトラック輸送に切り替わり、1965年(昭和40年)「武豊港駅」廃止と同時に貨物支線も廃線となりました。「武豊港駅」跡地の現在は、転車台ポケットパークとして整備され、転車台の他に信号機や転轍器(てんてつき)なども保存されています。また、遊具やベンチなども設置されているので、地元では憩いの場としても利用されています。

転轍器(てんてつき)

「武豊駅」からは「武豊港駅」とは反対の方向にも貨物線が敷設されていました。日本油脂専用鉄道です。1923年(大正12年)から1986年(昭和61年)まで営業されていました。この路線、昭和初期には内海町まで延伸する計画もあったそうです。

いかに武豊港が重要な港であったことがよく分かりますね。現在は、衣浦湾内の武豊港、半田港、亀崎港、刈谷港、高浜港、新川港、平坂港、大浜港が統合されて衣浦港となり、国の重要港湾として機能しています。

国土地理院空中写真(昭和23年)