消えた幻の蒲蒲線!どこを通った!?その歴史とルート・目的を徹底解剖!

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「蒲蒲線(新空港線)」の開業予定は?

東京都大田区で計画中の新しい鉄道路線、通称「蒲蒲線(新空港線)」。「蒲蒲線(新空港線)」とは、東急電鉄「蒲田駅」と京浜急行電鉄(京急)「京急蒲田駅」を結ぶ約800メートルの空白地帯を解消するために建設される予定の路線です。最終的には、東急多摩川線から京急空港線まで延伸し、羽田空港へのアクセスを向上させることが目的です。

京急蒲田駅(AC写真より)

「蒲蒲線(新空港線)」の計画は、1999年度から2000年度にかけて国土交通省が行った「都市鉄道調査」で検討されましたが、当時は費用対効果が低く、事業化には至りませんでした。その後、大田区が主導して再び調査を進め、大田区と東急電鉄が第三セクター設立の協定を締結。「羽田エアポートライン株式会社」が設立され、「蒲蒲線(新空港線)」計画が具体的に進められるようになります。

「蒲蒲線(新空港線)」第一期事業

「蒲蒲線(新空港線)」は、第一期事業として東急多摩川線の「矢口渡駅」から「京急蒲田駅」までを地下化して建設する予定です。この区間は約1.8キロメートルで、途中に新たな地下駅を2つ設けます。一つは東急蒲田駅直下に作る「新空港線蒲田駅」で、JR「蒲田駅」とも連絡することで乗り換えを便利にします。もう一つは「京急蒲田駅」西口付近に作る「新空港線京急蒲田駅」で、ここで京急線と乗り換えることができます。この第一期事業の開業予定は2030年代後半で、事業費は約1360億円です。

矢口渡駅(AC写真より)

「蒲蒲線(新空港線)」第二期事業

第二期事業として「京急蒲田駅」から「大鳥居駅」までを標準軌(1435mm)で建設し、三線軌条または、開発中の軌間可変電車(フリーゲージトレイン)によって東京メトロ副都心線や東急東横線・目黒線方面から狭軌(1,067 mm)の京急空港線へ直通列車を運行することも検討されています。第二期事業の開業予定は2030年代後半以降、さらなる年月が必要です。

大鳥居駅(AC写真より)

「蒲蒲線(新空港線)」が開業すれば、埼玉・渋谷方面からの羽田空港へのアクセス向上の他にも、東西に分断されている蒲田の町の不便さが解消されるようです。

戦後間もない頃に存在していた幻の「蒲蒲線」!?

やっと本格的に動き出しそうな「蒲蒲線」計画ですが、実は戦後間もない頃に、わずか7年間、「蒲蒲線」が存在していたというのは、あまり知られていない歴史の一面ではないでしょうか。

と言っても、東急と京急ではなく、省線(現・JR)と京急でした。

1945年(昭和20年)9月。アメリカ軍が接収した羽田空港の拡張工事ための物資輸送用として、省線(現・JR)蒲田駅から京急空港線(当時は東急穴守線)に乗り入れる「蒲蒲線(蒲蒲連絡線)」が敷設されました。正式には「羽田航空基地側線」といったそうです。

国土地理院空中写真より編集
国土地理院空中写真より編集(1947年)

当時も、省線(現・JR)と京急で軌間の違いによる弊害がありました。省線(現・JR)は狭軌(1,067 mm)、京急は標準軌(1435mm)です。京急の上り線が撤去され、代わりに狭軌(1,067 mm)が敷設されました。省線(現・JR)を通ってきた貨物列車は、京急線に並行し、羽田空港まで物資を運んでいたそうです。

1952年(昭和27年)7月に空港の諸施設がアメリカ軍から日本国政府に移管されると、同年11月に「蒲蒲線(蒲蒲連絡線)」はその役目を終えました。廃線跡は現在、道路などとなり、痕跡は見当たりません。

スイッチバックの不便さはありましたが、東京駅方面から羽田空港への直通ルートを失ったJR。廃線しなければ、便利だったかも!?

実は、JR東日本も羽田空港アクセス向上のために、2029年度の開業に向けて「羽田空港アクセス線」という新たな計画を進行中です。開業すれば「東京駅」-「羽田空港駅」間をわずか18分で結ぶことになるそうです。

ルートは違えど「蒲蒲線(新空港線)」の手強いライバルとなりそうですね。