熱海駅前の小さな蒸気機関車の正体は?熱海軽便鉄道(豆相人車鉄道)廃線跡スポット

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JR熱海駅を降り立つと、商店街へと向かう途中に静態保存されている小さな蒸気機関車を見ることができます。線路幅は762mm。「三岐鉄道北勢線」や「四日市あすなろう鉄道 内部・八王子線」と同じナローゲージと呼ばれるコンパクトな鉄道です。

これは、現在の東海道本線(小田原-熱海間)が開業する前に、小田原と熱海を結んでいた「熱海軽便鉄道」です。

国土地理院地図より編集

この路線は、1895年(明治28年)に人車軌道「豆相(ずそう)人車鉄道」として開業しました。6〜8名のお客を乗せた客車を3人の人夫が押して運ぶという極めて原始的な鉄道でした。

1908年(明治41年)に蒸気機関車牽引の軽便鉄道に切り替えられます。

豆相人車鉄道(Wikipediaより)

当時の切り替え工事現場を舞台にした小説が、芥川龍之介の名作「トロツコ」です。

芥川龍之介は、この工事を見物したジャーナリストの力石平三の手記をもとに、自信の創作に取り入れ執筆。トロッコとは、土砂や石などを運搬するために使われる四角い箱形の乗り物で、レールの上を走ります。物語では、8歳の少年・良平がトロッコに乗ってみたいという好奇心から、二人の土工と一緒にトロッコを押して遠くまで行きます。しかし、途中で土工に「われはもう帰んな」と言われ、良平はそれまでの楽しさから一気に不安へと陥れられます。

良平は、なんとか家に辿り着き、嬉しさのあまり泣き出します。

芥川龍之介はこの物語で、子供の頃の無邪気さと大人の世界の厳しさを対比させて、人生の不条理や苦悩を表現しています。

この作品は、芥川龍之介の代表作の一つで、教科書にも掲載されている短編小説です。おそらく皆さんも読まれたことがあると思います。

その舞台となった「熱海軽便鉄道」。

「熱海軽便鉄道」は、政財界の大物や文人など多くの観光客を運び、熱海温泉の発展に大きく寄与しました。

熱海軽便鉄道(Wikipediaより)

しかし、並行する区間で東海道本線の工事が始まると、東海道本線の開業の進捗に合わせて、並行部分が廃線となり、関東大震災による被害をきっかけにより全線が廃線となります。

熱海軽便鉄道の歴史は、現在でも様々な場所で見ることができます。

「小田原駅」跡。小田原城近く、国道1号線の歩道橋脇に駅跡を示す石碑が立てられています。

「根府川駅」跡。現在の東海道本線を見下ろす急坂に位置します。

相模湾を望む海岸沿いの駅「吉浜駅跡」です。「トロツコ」の主人公のモデルとなったジャーナリストの力石平三氏は湯河原町吉浜出身。この付近で「熱海軽便鉄道」の工事を見ていたのでしょうか。

JR「湯河原駅」より県道75号線を西へ進むと甘味処「味楽庵」さん前に「豆相人車鉄道」実物大のレプリカがあります。

熱海市泉の椿寺にはレールが保存されているそうです。

そして東海道本線の「熱海駅」前の7号機関車。この機関車は、重心が低くて小型で、併用軌道や急勾配にも対応できるように設計されていました。

JR熱海駅前 熱海軽便鉄道7号機関車
JR熱海駅前 熱海軽便鉄道7号機関車

「熱海軽便鉄道」の「熱海駅」は「大江戸温泉物語 あたみ」付近にありました。「大江戸温泉物語 あたみ」の入り口には駅舎跡を示す看板と「豆相人車鉄道」時代の客車を押す人夫の様子を描いたリーフが飾られています。

大江戸温泉物語 あたみ入り口

「熱海軽便鉄道」遺跡は、明治から大正にかけての日本の近代化や観光文化の一端を示す貴重な遺産です。観光客で賑わう熱海の街では、今でもその面影を感じることができました。