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地上時代の京阪京津線
1912年(大正元年)8月15日、京都と大津を結ぶ路線が京津電気軌道により開通いたしました。
この区間は県境を跨ぐため、蹴上駅付近には碓氷峠並みの66.7‰の勾配、
大谷 – 上栄町間にも61‰の勾配区間があり、山岳鉄道といっても引けを取らない急勾配を走り抜けていました。
京阪京津線、地下へ
1997年(平成9年)10月12日。
京津線の京都市営地下鉄東西線への乗り入れのため、京津三条 – 御陵間の3.9kmの地上線が廃止となりました。
路線が地下化されたことで、京津三条駅、東山三条駅、蹴上駅はそのまま地下駅へ。
九条山駅、日ノ岡駅は廃止となり、日ノ岡駅と御陵駅の間に京都市営地下鉄東西線との共同駅として
従来の御陵駅より西へ約300m移設した場所の地下に御陵駅が設置されました。
陵ヶ岡みどりの径
地下化された区間のほとんどは併用区間のため、廃線跡は道路に吸収されていますが、三条通から離れ専用軌道となった区間は「陵ヶ岡みどりの径」という遊歩道に生まれ変わっています。
九条山の車石
九条山付近の広場に京津線地下化の記念碑が建てられています。
「廃線となった京津線の軌道敷を利用して三条通りの四車線化及び歩道の整備事業を実施した本事業の完成を記念して三条通りの舗石として敷設されていた車石を利用し往年の牛車道を模した広場が設置されいます。」と書かれています。
京津線が走っていた三条通りは天下の大動脈「東海道」です。古くから人や荷物が行き交う主要街道でした。この広場には、牛車の車輪にあてがう溝がつけられた車石や荷車が置かれ、当時の風情を醸し出しています。人が通り、牛車が通り、車が通り…そして電車も走った「東海道」。今も変わりなく主要道路として車が行き交っています。