1970代後半まで京都市内に張り巡らされていた京都市電のレール。廃止となった現在で唯一正式にレールが保存されているのは別頁で紹介させていただきました「稲荷停留所」に残された1箇所のみです。
しかし、正式に保存されていないものの、「見つけてくれ」と言わんばかりに埋もれたアスファルトの下からその存在感を示す京都市電の痕跡たちがいくつか存在します。
京都市電1913年(大正2年)、七条大橋の架け替えとともに誕生した京都市電七条線。
1934年(昭和9年)には全線(東山七条-西大路七条間)が開業となります。
他路線とともに市民や観光客の足として活躍してきましたが、昭和40年代より自動車の普及とともに乗客が減少。
1977年(昭和52年)に七条河原町 – 西大路七条間が廃止となります。
その翌年の1978年(昭和53年)9月に京都市電が全て廃止、残りされた京都市電七条線の七条河原町 – 東山七条間も廃止となりました。
京都市電を失った七条大橋上を自動車が行き交っています。
その七条大橋に、今でも京都市電のレールを見ることができます。といっても剥がれたアスファルトからわずかに顔をのぞかしている部分だけです。
しかしアスファルトには京都市電七条線の軌道跡がレールこそ見えませんがくっきりとも残っています。
おそらくこの下にもレールが残っているのでしょう。自動車の往来の多い通りですが、歩道からもバッチリ見ることができます。
京都市電が全廃に先駆け1972年(昭和47年)に京都市バスの壬生操車場となった京都市電壬生車庫。壬生車庫にも市電の軌道跡を見ることができます。この下にも京都市電のお宝が眠っていると思うとワクワクします。
京都市電廃止時はレールを剥がさずに埋めただけだったのでしょか。それともこの場所だけ?もし埋めただけならまだまだ姿を現す可能性があるということですね。まるでタイムカプセルのようです。
地面ではなく、今度は顔を上に向けてみましょう。壬生車庫の向かい側には京都市電の架線柱を見ることができます。
京都駅近くの大宮跨線橋にも架線設備を見ることができます。
路面電車の廃線跡にレールや設備がいまだ残されているのはかなり珍しいことではないでしょうか?歴史の古い京都では、地面を掘れば遺跡出てくるとよく云われますが、京都市電のレールもまだアチコチに埋まっているかもしれません。まだ見ぬお宝を見つけに京都の町を歩いてみませんか?
※画像は2021年現在のものです。今後埋められるのか?もしくはさらに露出するのか?見守っていきたいと思います。