日本最初の鉄道である「新橋駅」 -「横浜駅」間に次いで歴史の古い「大阪駅」-「神戸駅」間。
当初「大阪駅」-「神戸駅」間は、さらに南の沿岸寄り、現在の阪神電車ルート付近に建設される予定でした。
日本酒の名産地として栄えていた灘一帯の酒造家から「汽車の出す煙で酒が劣化する」との反対を受け、現在のJR神戸線ルートへと計画を変更されます。
しかし、さらなる難関が待ち構えていました。「大阪駅」-「神戸駅」間の山麓側には川底が地面よりも高くなっている天井川が何本も立ちはだかっていました。
全国に240ある天井川(2014年調べ)のうち、なんと半数が関西地方にあります。天井川の成り立ちには西日本に多く分布する花崗岩が大きく影響しています。花崗岩が風化してできる「真砂土(マサ)」が河道に堆積することで天井川ができやすくなるそうです。
「大阪駅」-「神戸駅」間は北側に六甲山系が迫り、南側にはすぐ大阪湾が広がる細長い地形。六甲山系から流れてくる川は、大量の「真砂土」を運びながら急勾配で下ってきます。「真砂土」が堆積し川底を上げるため、何本もの天井川がこの区間にできることとなりました。
鉄道が天井川を橋で越えるにはかなりの急傾斜となり、当時の蒸気機関車ではパワー不足。そこで川の下にトンネルを掘ることになりました。困難を極めた工事はイギリス人の指導のもと行われました。
1874年(明治7年)日本最初の鉄道トンネルが「住吉駅」 -「灘駅」間(現在の「住吉駅」-「六甲道駅」間)に誕生します。
石屋川をくぐる「石屋川トンネル(石屋川隧道)」です。
1894年(明治27年)に複線化。
1919年(大正8年)の複々線化工事により「石屋川トンネル」解体され、石屋川は水路橋へと改修されます。
1976年(昭和51年)東海道本線の高架化となり「石屋川トンネル」は埋め立てられました。
現在の地図では鉄道は石屋川の上を越えています。
1947年(昭和22年)の空中写真では石屋川の下を鉄道が通っています。
石屋川トンネル跡付近にある石屋川公園には「旧石屋川隧道記念碑」があり、日本で最初の鉄道トンネルの誕生から現在に至るまでの歴史が写真入りで紹介されています。
ちょうど石屋川トンネルのあった場所にも石碑が建てられています。
「日本で最初の鉄道トンネル」石屋川トンネル開削後は、続け様に天井川である住吉川と芦屋川にも同じように鉄道トンネルが開削されました。
当初計画していた沿岸寄りのルートであれば、なだらかな地形のため「大阪駅」-「神戸駅」間にトンネルが開削されることもなかったことでしょう。
山のない平地に作られた「日本で最初の鉄道トンネル」。その背景には酒造家の反対や、「大阪駅」-「神戸駅」間の特有な地形など、様々な要因が重なっていたのですね。