廃線跡の旅、鉄路の旅

沼津駅に新幹線駅が開業していたかも!?市内に残る弾丸列車・モノレール計画

沼津市は、静岡県東部の中心都市として知られています。静岡県東部総合庁舎の所在地でもあり、百貨店や広大な商店街が点在し、商業の規模も静岡や浜松に次ぐほど盛んです。
それなのに「沼津駅」に新幹線の駅がないのはなぜでしょう。
その答えは、新幹線の前身となった「弾丸列車計画」にあります。この計画は、東京から下関までをたった9時間で結ぶという野心的なもので、その旅客予定駅には東京、横浜、小田原、熱海、沼津、静岡、浜松、豊橋、名古屋、京都、大阪、神戸、姫路、岡山、尾道、広島、徳山、小郡、そして下関市が含まれていました。
現在の東海道新幹線のルートとほぼ同じですが、なんと三島ではなく、沼津の文字が!?
弾丸列車は、「沼津駅」に停車する予定でした。

現在の「沼津駅」の北側には、興味深い道路があります。この道路は、なんと「東西南北の碁盤目」に逆らって北東から南西へ斜めに延びています。これはかつての弾丸列車用の線路の予定地を生かして造られたものと言われています。

沼津市内に残る弾丸列車計画ルート


新幹線の「沼津駅」は、県道162号線(通称:リコー通り)とこの道路の交差する付近に開設される予定でした。
更に新幹線駅から在来線の沼津駅まで結ぶモノレールの建設も計画されていました。

国土地理院地図より編集

その歴史が今も市内の道路に息づいているのです。このエリアはまさに鉄道マニアの心をくすぐる歴史的かつ興味深いスポットと言えるでしょう。

東海道新幹線のルートが変更された背景には、緩い地盤を避けるための慎重な計画があります。沼津はその名の通り沼地が多かった場所であり、富士山からの地下水に恵まれつつもかつては広がる沼地が特徴でした。特に浮島沼周辺は現在でも水田が広がる農業地帯で、その地盤は非常に緩かったのです。

そのため、東海道新幹線は東海道本線よりも北側の愛鷹山麓を迂回することになりました。

東海道開業時は、「三島駅」にも新幹線の駅はありませんでした。開業翌年からは在来線駅に隣接して保線基地や車両基地、信号場が設置され、新幹線の駅ができたのは開業から5年後の1969年4月。地元の強い要望により、「三島駅」にホームが開設され、新たな鉄道の歴史が刻まれたのです。

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