1625年(寛永2年)、徳川家光によって創建された寛永寺。江戸城の鬼門(東北)を守るため、そして徳川将軍家の菩提寺として建立されました。その寛永寺の近くにあるコンビニ。一見どこにでもありそうなコンビニですが…
なんと、この建物の下には、現在は使用されていない「幻の駅」が存在するのです。
かつての京成電鉄「寛永寺坂駅」です。
「寛永寺坂駅」とは、1933年(昭和8年)、京成電鉄が「日暮里駅」と「京成上野駅」間の地下線を完成させた際に、「博物館動物園駅」とともに設けられた駅です。駅名は、近くにある寛永寺に由来しています。しかし「寛永寺坂駅」はわずか20年ほどの短い歴史に幕を閉じ、1953年(昭和28年)に廃駅となってしまいました。
太平洋戦争末期、「寛永寺坂駅」は非常に変わった目的で使用されていました。「日暮里駅」-「京成上野駅」間のトンネルが軍に接収され、京成電鉄はこの区間を一時的に運休。下り線を三線軌条に変更し、日暮里方面から連絡線を設けて国鉄の優等客車を搬入、事務所や指令室として使用されました。
終戦後も、下り線は軍用列車の留置線として利用され、上り線は軍需工場に転用されたため、当駅を含むこの区間の営業再開は遅れました。
「寛永寺坂駅」はなぜ廃駅になったのでしょう?
その後、「寛永寺坂駅」は急勾配の当駅での発着は困難な上、危険が伴い、また利用客も少ないという理由で営業再開からわずか1年で休止され、1953年(昭和28年)に正式に廃止となりました。
「寛永寺坂駅」の真上にあるコンビニの裏手には国旗の掲揚台跡が移設され残されています。この掲揚台は、現在のコンビニ駐車場、かつての「寛永寺坂駅」入口付近にあったものです。
掲揚台には「国威宣揚」「皇紀二千六百年記念」「昭和16年12月8日」の文字が刻まれています。
まるで秘密基地のように使用されていた「寛永寺坂駅」。今でもその姿を残したままこのコンビニの下で眠っているそうです。いつか見てみたいものですね。