明治の終わり頃より東京・牛込にて設立された「鉄道連隊」。「鉄道連隊」とは陸軍内の鉄道を敷設・利用・撤去する部隊です。鉄道は戦地において軍用物資の運搬に最適でした。「鉄道連隊」の活動や実績が認められ、拠点を東京から千葉県へ移転し、大きく拡大していきます。
当初、部隊は鉄道連隊本部・第1〜3大隊で構成されていました。
演習線は千葉と津田沼の間に習志野線、千葉と陸軍砲兵学校の設置された四街道を結ぶ下志津線が建設されます。
下志津線はその後、大演習線として八街経由で三里塚まで延伸されますが、すぐに撤去されました。
昭和初期、「鉄道連隊」の編成が整備され千葉市にの第1鉄道連隊、津田沼に第2鉄道連隊が置かれると、第2鉄道連隊の津田沼より工兵学校のある松戸を結ぶ松戸線が建設されます。
千葉県北西部に張り巡らされた演習線でしたが、終戦を迎えると「鉄道連隊」とともに廃止されました。
鉄道連隊演習線のルートはカーブだらけでした。下総台地に建設されたため平坦な地形にも関わらず、これほどくねらせたのはいくつかの理由があります。
演習目的で建設のため、あえてカーブを多く作った。
直線ルートより曲線のルートの方が難しいのは、素人が考えてもわかりますよね。わざとカーブを作って建設や運転の練習に使用したとの見解があるようです。
一運転区大隊の編成は45kmというルールに基づいている。
千葉-松戸間の演習線の長さは45km。短絡路線で建設すればもっと短くなりますが、あえて45kmにしているところからこの説が生まれました。
さて、鉄道連隊の遺構は残っているのでしょうか。
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1.千葉公園
鉄道第1連隊跡地に整備された「千葉公園」。現在は、子供の遊び場やスポーツ施設、憩いの場所として利用されていますが、かつて周辺一帯では鉄道の敷設、修理から破壊訓練などが行われていました。公園内には当時の演習用トンネル、架橋演習用橋脚などが残されています。
公園内には神戸市の川崎車両(現・川崎重工業)で製造された「C型タンク飽和蒸気機関車」も展示されています。この蒸気機関車は川崎製鉄千葉製鉄所(現・JFEスチール東日本製鉄所)において資材や原材料の運搬に使用されていました。見上げれば千葉モノレールが駆け抜けています。千葉モノレールの軌道の一部は、鉄道演習線と重なっています。
2.ハミングロード
演習線廃線跡は「新津田沼駅」付近より総武本線に沿って千葉方面に進みます。習志野警察署付近で進路を変え、京成「大久保駅」へと向かいます。この付近より鉄道第2連隊が演習用に使用していた軌道敷きはサイクリングや遊歩道として整備された「ハミングロード」として生まれ変わっています。
3.津田沼1丁目公園・千葉工業大学
新京成線「津田沼駅」周辺は、鉄道第2連隊がありました。跡地には、イトーヨーカドー津田沼店、ミーナ津田沼などの商業施設や千葉工業大学などが建てられています。イトーヨーカドーの向かいにある津田沼1丁目公園には、蒸気機関車が展示されています。陸軍鉄道第2連隊で使用されていた「K2形 機関車 134号」です。「K2形 機関車 134号」は戦後、西武鉄道に払い下げされ、安比奈線で砂利取り用に使用された後、西武鉄道が所有する遊園地「ユネスコ村」にて保存されていました。「ユネスコ村」が廃園されると再びこの場所に戻ってきました。
千葉工業大学の通用門は、鉄道第2連隊の表門です。鉄道第2連隊関係で現存している貴重な建造物です。「工大の煉瓦門」と呼ばれ、赤煉瓦のレトロな雰囲気が撮影スポットとしても人気です。
4.アカシア児童遊園
津田沼-松戸間の廃線敷の大部分は新京成電鉄敷設のために利用されました。鎌ケ谷市のアカシア児童遊園にそびえ立つ3基の巨大な橋脚。これも鉄道第2連隊演習線の遺構です。鎌ケ谷周辺の演習線路線は大きく湾曲していたため、新京成電鉄の建設時に短絡線が建設されました。新京成電鉄のルートから外れたため、アカシア児童遊園に当時の姿のまま演習線の遺構が残されています
「二和向台駅」-「初富駅」間にあった演習線跡。あえて路線をくねらせて、わざわざ窪地を通り、中沢川に橋を架ける。一見、無意味に思えるルートも訓練用と知れば納得です。
鉄道連隊演習線の廃線跡や遺構は千葉県ならではの史跡。遊歩道や公園として整備されている箇所が多いため、至る所にその痕跡を見ることができました。また演習線をなぞるように走る新京成線に乗れば、カーブの多さの深い意味を感じることでしょう。千葉に訪れた際は、ぜひ訪れてみてください。千葉の違った一面を知ることができますよ。