小倉裏線の巨大駅「足立駅」はなぜ幻の駅と呼ばれるのか?その廃線跡は…

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福岡県北九州市にかつて存在した小倉裏線は、日本の鉄道史において重要かつ不思議なな存在でした。この路線は、明治36年(1903年)に九州鉄道によって開業され、富野信号所(現在の東小倉駅付近)から板櫃聯絡所までを結んでいました。しかし、その歴史は短く、大正5年(1916年)には全線が廃止されました。

小倉裏線の誕生には、裏話があります。当初、現在の鹿児島本線の全身である九州鉄道は本線を戸畑経由で通す予定でした。しかし、ここで思わぬ壁にぶつかります。なんと、陸軍が「もし敵の艦砲射撃があったら、海岸部の線路が破壊されてしまうのでは?」と大反対したのです。

この反対を受けて、九州鉄道は仕方なく計画を変更し、小倉市街地の南側を通るルートにすることになりました。でも、海沿いのルートも捨てがたい…。そこで折衷案として、海岸部の線路を「戸畑線(小倉 – 戸畑 – 黒崎間)」という支線として敷設することが認められ、その条件付きで陸軍の要求に応じたのです。こうして、小倉裏線は誕生したのです。下記地図の赤線のルートが小倉裏線です。

国土地理院地図より編集

小倉裏線は板櫃聯絡所から大蔵線に接続していました。大蔵線1911年(明治44年)10月1日に廃止となっています。

小倉裏線の中でも特に注目されるのが、足立駅です。足立駅は小倉駅を凌ぐ大きさ(35,000坪)を誇る立派なものでした。この駅は、日露戦争時の大量の兵士輸送のために明治37年(1904年)2月12日に開業しました。しかし兵士を運び終えると、わずか一週間後の2月19日にその役目を終えました。その後、駅は利用されなくなり、小倉裏線自体も存在意義を失いました。足立駅の跡地は現在、北九州市立足立中学校付近から三萩野交差点付近まで広がっており、一部は住宅展示場や商業施設として再開発されています。

北九州モノレール香春口三萩野駅から望む足立駅跡
北九州モノレール香春口三萩野駅から望む足立駅跡
国道3号線から望む足立駅跡

このように、小倉裏線と足立駅は、日本の鉄道史における一時代を象徴する存在でありながら、その生涯は非常に短く、また今日ではその歴史を物語る遺構は全くと言って良いほど残っていません。故に幻の駅、幻の路線として鉄道ファンを魅了し続けているのでしょう。