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幻の新幹線「成田新幹線」
東北新幹線、上越新幹線と同時期に計画されていた新幹線に「成田新幹線」という幻の新幹線がありました。
東京都心から離れている成田空港へのアクセス路線として、東京駅と成田空港間を新幹線で30分で結ぶという大計画。
成田新幹線のルートは、東京駅、千葉ニュータウン、成田空港駅の三つで構成で、将来的には、東海道新幹線など他の新幹線と繋がる予定でした。
目的地となる成田空港は、1966(昭和41)年に建設が決定したのち、1971年に政府によって「成田新幹線」の計画が決定。
1974年に工事がはじまり、1976年の開業を目指していました。
京成空港連絡特急「スカイライナー」の登場
一方、当時経営不振だった京成電鉄も成田空港へのアクセス路線に名乗り上げ、復活に活路を見いだします。
1968年12月に新線免許を申請し、京成東成田線建設開始。
1978年(昭和53年)5月21日 – 新東京国際空港開港と同時に、空港連絡特急「スカイライナー」が京成上野駅 – 成田空港駅間無停車、所要時間60分で運行を開始します。
しかし「成田新幹線」の兼ね合いによりで空港ビルへの乗り入れを拒否されたため
第1・第2ターミナルビルの中間に駅を設置することとなり、駅から連絡バスを要するなどの不便さが残ることになります。
一方、国鉄の「成田新幹線」ですが、用地買収がうまくいかず 予定通りに建設が進みません。
成田空港自体も反対する人々が多く、また、新幹線が通過するだけでメリットのない江戸川区や浦安まどの反発もあり空港開港から5年後の1983年、工事は凍結されました。
京成電鉄は、「成田新幹線」が建設されるはずだった北総線印旛日本医大~成田空港間に新線を建設し、最高速度となる160km/hの高速運転を行うことを計画。「成田新幹線」計画が消滅したため、空港ターミナル直下となる現在の成田空港駅への乗り入れが可能に。
2010年(平成22年)日暮里~成田空港間を最速36分で結ぶことに成功します。
「スカイライナー」に対抗する「成田エクスプレス」
「成田新幹線」を断念したJR(国鉄)も1991年3月19日に、成田新幹線計画の遺構(土屋 – 成田空港)を利用した成田空港駅の開設により、複数駅から成田空港アクセス特急「成田エクスプレス」の運行を開始し「スカイライナー」に対抗しています。
さて、この「スカイライナー」という名称は、1972年、小学生新聞の協力により日本全国の小学生からの公募により決定したものでが、偶然かこの名称に驚くべきアナグラムがあるようです。
「スカイライナー」アナグラムの秘密
アナグラムとは?
言葉遊びの一つで、単語または文の中の文字をいくつか入れ替えることによって、全く別の意味にさせる遊びである。(wikipediaより)
「スカイライナー」を英語表記すると「SKY LINER AIRPORT EXPRESS」。
「成田新幹線」をローマ字表記すると「NARITA SINKANSEN」
「SKY LINER AIRPORT EXPRESS」のスペルの中に「NARITA SINKANSEN」のアルファベットを見つけることができます。
「京成スカイライナー」と幻の「成田新幹線」の複雑な歴史が特急名によって未来へと語り継がれていくようです。