奈良と京都を結んでいた省線・奈良線(現・JR奈良線)に継ぐ第二の路線として計画された奈良電気鉄道。
当初は宇治を起点とし、京阪に接続する予定でしたが、それでは遠回りになるということで「小倉駅」より北へ進み、京阪電気鉄道「伏見桃山駅」で京阪線に乗り入れる計画へと変更されました。
「小倉駅」-「伏見桃山駅」の間には大きな宇治川があります。
鉄道を通すためには、橋を架けなければなりません。
そこで問題が発生します。
宇治川のそばには、帝国陸軍の第16師団・工兵第16大隊の演習場の演習場がありました。
橋の予定地は、渡河訓練場となっており、橋脚があると訓練に差し支えがあるとのこと。
そうこうしているうちに1928年(昭和3年)11月に京都御所で昭和天皇の即位大典挙行が決まると、橿原神宮、伏見桃山陵宮、京都御所を結ぶ奈良電気鉄道の建設意義が一気に高まりました。
軍より「橋脚はせめて一基までに」という要望がありましたが、大典挙行までの開通を目指す奈良電気鉄道は、宇治川に橋脚を設けない長大な単独トラス橋の工事を早々と取り掛かります。
そして、最新技術を導入し全長162.4mの「澱川橋梁」をわずか半年で完成させたのでした。
「伏見桃山駅」付近でさらに問題発生!?「桃山御陵の参道と奈良電が交差する地点の平面交差は認めない」との意見が京都府より出されたのです。
奈良電気鉄道は、この区間を地下線する計画に変更しました。しかし、この周辺は「伏見の酒処」。地下線身寄り酒造りに欠かせない「伏見の水」が断たれることを不安に思った伏見酒造組合から反対の声が上がり、地下線の計画から高架へと変更されました。
また当初は「伏見桃山駅」での京阪乗り入れる予定でしたが、京阪は列車本数の増加などにより既にキャパオーバー。奈良電気鉄道は独自路線で京都駅へ延伸することに。
線路用地は旧省線奈良線廃線敷と省線伏見貨物線が利用されました。
大典3日前の11月3日、奈良電気鉄道は「桃山御陵前駅」 – 「西大寺駅(現 大和西大寺)」間を開業!
「桃山御陵前駅」-「京都駅」間も大典にこそ間に合いませんでしたが、その数日後開通します。
次々発生する問題をクリアし、誕生した奈良電気鉄道。
1963年(昭和38年)に近畿日本鉄道が奈良電気鉄道を合併し、近鉄京都線となります。
昭和初期に建設された澱川橋梁ですが、今もなお、特急から普通列車まで各種列車を支え続けています。