大分県佐賀関には、「海に続く線路」があるそうです。インスタ映えスポットとして人気となっていますが、なぜこのような場所に線路があるのでしょう。もしかして廃線跡なのでしょうか!?
現在、佐賀関には鉄道は通っていません。しかし1963年(昭和38年)まで日豊本線「幸崎駅」-佐賀関の「日鉱佐賀関駅」間を日本鉱業佐賀関鉄道線という鉄道が通っていたようです。「海に続く線路」はその痕跡なのでしょうか?
謎を解くために現地を訪れました。
日本鉱業佐賀関鉄道線は、「幸崎駅」から日豊本線より分岐し佐賀関を目指していまいした。
廃線跡の大部分は、生活道路やサイクリング道路に転換されています。
廃線跡は眺めの良い高台にあります。日本鉱業佐賀関鉄道が現役ならば観光列車でも走っていたかもしれません。車窓からは美しい豊後水道が広がっていたことでしょう。
日本鉱業佐賀関鉄道の廃線跡には、トンネルも残されています。今では生活道路として利用されているようです。
大分バス佐賀関バスセンターの場所が「日鉱佐賀関駅」でした。
日本鉱業佐賀関鉄道線はここ「日鉱佐賀関駅」まで。「海に続く線路」はここより約3km東にあります。ということは「海に続く線路」は日本鉱業佐賀関鉄道線の廃線跡ではないようです。
それでは「海に続く線路」を目指しましょう。穏やかな海風が心地よいです。
佐賀関といえば、「関あじ」「関さば」が有名です。佐賀関から望む豊予海峡は、瀬戸内海と太平洋の境目に位置し、速吸瀬戸(はやすいのせと)と呼ばれ海流が速くプランクトンが豊富です。互いの潮目がぶつかりあう場所であるため、身が引き締まったあじやさばを獲ることができます。なんて素敵な場所なんでしょう。
しばらく進むと白い砂浜が美しい白ヶ浜が見えます。
佐賀関半島の南側には白ヶ浜と黒ヶ浜という全く色の異なる砂浜があり、この砂にまつわる伝説がこの地で語り継がれています。
昔、神武天皇御一行が、沖合を通ろうとした際に、大ダコに遭遇。大ダコはイザナギノミコトが海に落としたという御神剣を持っていたため、海女の黒砂(いさご)と真砂(まさご)姉妹に大ダコから御神剣を受け取るように命じます。姉妹は御神剣を受け取り、神武天皇に奉献するもその後、息絶えてしまいます。その姉妹を祀っているのが姉妹岩です。
白と黒という種類の違う砂が同じ海岸に隣接する地形は珍しいようで、姉妹岩の伝説をさらに神秘的なものにしています。
白ヶ浜と黒ヶ浜の間に「海に続く線路」がありました。
思っていたのとは違う!?潮が引いている時間はこんな感じです。
これでは、映える気がしません。
「これはやはり廃線跡ではない?」海の反対側は小屋になっています。実はこのレール、船を小屋から海まで運ぶためのレールだったです。
おそらく「海に続く線路」は昔から存在していたのでしょうが、近年、SNSによって一気に有名になったようです。
廃線跡ではありませんでしたが、錆びついたレールとと海の美しさがユニークな光景を作り出していました。
これが満潮すぎるとレールが沈んでしまい、逆に見えにくくなるかもしれません。次に来るときは、満潮時と干潮時の間の絶妙なタイミングをきちんと調べていきたいと思います。