南海平野線の廃線跡は「プロムナード平野」に…

阪堺電気軌道平野支線から南海平野線へ

1914年(大正3年)に開業したが阪堺電気軌道(初代)平野支線。
現在の阪堺電気軌道阪堺線の今池駅の南側から分岐し、平野駅までの5.9kmを結んでいました。
翌年の1915年(大正4年)に南海鉄道と合併し、南海平野線となります。
沿線は、のどかな農村地帯でしたが、南海平野線の開業により住宅地として栄えてきました。
大阪市内と平野を結ぶ路線として需要な役割を担っていた南海平野線でしたが、
66年の歴史に幕を降ろす時がきます。
さらなる人口増加により、1980年、南海平野線の真下に地下鉄が通ることになりました。
天王寺駅まで伸びていた地下鉄谷町線が平野を通り八尾南駅まで延伸されると同時に
南海平野線は廃止になります。

廃線跡の大部分は道路となりますが、当時の面影を残す箇所も幾分か見られるようです。

飛田駅跡

飛田駅跡は耕作地となっています。

飛田駅から西平野駅の手前あたりまでは、廃線跡の頭上を阪神高速14号松原線が走っています。

西平野駅跡は背戸口公園

西平野駅跡に作られた背戸口公園、公園内のレリーフには、当時の路線図と電車が描かれており、地面には線路をイメージした模様がまるで本物の線路のようです。

プロムナード平野

廃線跡は、西平野駅付近で南東へ進路を変える阪神高速14号松原線に別れを告げ、そのまま直進。
廃線跡は整備され「プロムナード平野」という遊歩道となりました。

終着駅の平野駅跡

終着駅の平野駅付近には、駅舎で使われていた車止めやホーム上屋の骨組みを利用した藤棚が設置されていいます。

平野駅前の駅前商店街は「平野南海商店街」の看板が今でも掲げられており、廃線後40年たった今でも駅前の雰囲気を醸し出しています。