矢部線廃線跡が「バルビゾンの道」と呼ばれる理由は坂本繁二郎氏?

羽犬塚駅から黒木駅を結んでいた矢部線

福岡県筑後市の羽犬塚駅から八女市黒木町の黒木駅を結んでいた矢部線。
矢部線はその名の通り、さらに東にある矢部村を目指していました。
また、将来的にはその東の大分県日田市中津江村の鯛生、宮原線の肥後小国へと向かう壮大な計画もあったようですが、黒木駅より先に線路が敷かれることはありませんでした。

矢部線の中心となっていた筑後福島駅跡は現在、踏切やレールが残され鉄道公園として整備されています。

筑後福島駅跡
筑後福島駅跡


公園横の藤棚には当時のレールが使われています。

八女市には樹齢600年以上といわれる黒木大藤があり、春には黒木大藤の開花に合わせた八女黒木大藤まつりが開催されます。
この藤棚も春が来れば優雅に藤の花房が咲き誇るようです。

筑後福島駅跡

終着駅の黒木駅は古い歴史を持つ城下町。
そして、お茶のブランド「八女茶」の発祥の地としても有名です。

黒木駅跡

黒木駅跡にはC11形蒸気機関車や新設された駅名標があり、廃線跡を偲ばせます。

黒木駅跡

「バルビゾンの道」として親しまれている矢部線廃線跡

矢部線の廃線跡の大部分は舗装された道路に生まれ変わっていますが、
矢部線の廃線跡は「バルビゾンの道」と名付けられています。

明治後期~昭和期の洋画家、坂本繁二郎氏。
福岡県久留米市に生まれ、絵を学ぶために東京、フランスへ渡り、再び九州へと戻ります。
そして晩年はここ八女に居を構え、近くに建てたアトリエで数々の作品を描くことになります。

坂本繁二郎氏の住まいは筑後福島駅跡に近く、生前は矢部線を利用されたことがあるかもしれません。

「八女」で描いた作品たちにより多くの賞を受賞した坂本繁二郎氏は洋画界の巨匠と呼ばれます。

なぜ、坂本繁二郎氏は「八女」にこだわったのでしょうか。

フランス留学の際に訪れた「バルビゾン」の風土と「八女」の風土が似ていることから
「東洋のバルビゾン」と呼び「八女」の地をこよなく愛していたそうです。

矢部線の廃線跡の道路が「バルビゾンの道」と命名されたことで、坂本繁二郎氏の功績は八女の地に永遠に語り継がれてれていくことでしょう。