木津駅周辺の廃線跡…新木津駅、鹿背山トンネルは何処へ?

明治時代、わずか10年の間に「木津駅」周辺の鉄道地図はめまぐるしい変化がありました。
1896年(明治29年)奈良と京都を結ぶために建設された奈良鉄道によって「木津駅」が誕生。


そこへ、関西鉄道が大阪方面より進出してきます。

1898年(明治31年)6月「木津駅」のやや西側に作られた「新木津駅」。
「新木津駅」-「木津駅」間の乗り換えは約600mの徒歩連絡が行われていましたが、その3ヶ月後、
「新木津駅」と「木津駅」がレールで繋がります。
一方、関西鉄道は名古屋方面からも鉄道を建設し、「加茂駅」より「大仏駅」までレールを延ばしました。(大仏線)


関西鉄道の目的は大阪と名古屋を結ぶこと。
大仏線「加茂駅」より西へ分岐し「新木津駅」と接続することで目的を達成します。

その後、大仏駅より奈良駅へ延伸。
大阪(湊町)より奈良を結んでいた大阪鉄道を買収すると、名古屋-大阪ルートはこちらの路線がメインとなります。
大仏駅経由のルートは勾配がきついため「木津駅」経由へと変更されると
大仏線が廃止。そして「新木津駅」も廃止となりました。

新木津駅跡

新木津駅跡には最近までレンガ造りの遺構が残っていたそうです。


その後の木津駅周辺の路線図は、ほぼこのカタチで運行されています。

木津駅の北側には路線図変遷の跡が見られます。

JR奈良線の下に通る道路は、「加茂駅」-「新木津駅」を結んでいた関西鉄道の廃線跡です。

奈良鉄道「京都駅」-「奈良駅」間の開通は1896年(明治29年)、関西鉄道「加茂駅」-「新木津駅」間の開通はその2年後の1898年(明治31年)。

この構図から推測すると、奈良鉄道(現・JR奈良線)建設時に、すでに関西鉄道を通すためのトンネルが用意されていたことになります。

1956年(昭和31年)には「加茂駅」―「新木津間」にある鹿背山トンネルが老朽化により岩盤崩落の危険性があったため、不動山トンネルが掘られ、新線に切り替えられました。

大仏線の遺構「鹿背山橋台」の北側に、関西本線の「鹿背山トンネル」加茂駅側坑口の跡があるようですが、藪が生い茂りこれ以上進むことができませんでした。

鹿背山橋台
鹿背山橋台の北側

木津駅側の「鹿背山トンネル」坑口はきれいに整備されていて痕跡すら見つけることはできませんでした。

新線の不動山トンネルです。

不動山トンネル