Contents
和歌山軌道線の廃止
和歌山県和歌山市内で運行されていた和歌山軌道線。
1909年(明治42年)の開業以来、経営母体の変遷を繰り返しながらも
市民の足として、また和歌山城や紀三井寺、和歌浦などへと向かう観光路線としての役目も果たしていました。
1971年(昭和46年)10月。
和歌山市にて第26回国民体育大会 「黒潮国体」が開催されることとなり
和歌山市街の道路整備が急務となりました。
そこで道路整備のために目をつけられたのが、和歌山軌道線でした。
当時の和歌山軌道線の経営母体は南海電鉄、モータリーゼーションの波に打ち勝てず、乗客数は減少傾向にありました。
和歌山軌道線を廃止し、代替として路線バスでカバーをすることに対して大きな反対が起こることもありませんでした。
1971年(昭和46年)1月に和歌浦口 – 海南駅前間が、
同年3月には残りの区間が廃止となり、「黒潮国体」前に全線廃止となりました。
岡公園の321型
和歌山城の横にある岡公園に321型が保存されています。
廃線跡の紀三井寺緑道
専用軌道の紀三井寺 – 琴の浦間は紀三井寺緑道(遊歩道)として整備されています。
和歌山軌道線廃線跡の鵬雲洞(ほううんどう)
鵬雲洞と呼ばれるトンネル。現在は歩行者や自転車の通り道となっています。