矢部線廃線跡が「バルビゾンの道」と呼ばれる理由は坂本繁二郎氏?

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羽犬塚駅から黒木駅を結んでいた矢部線

福岡県筑後市の「羽犬塚駅」から八女市黒木町の「黒木駅」を結んでいた矢部線。
矢部線はその名の通り、さらに東にある矢部村を目指していました。
また、将来的にはその東の大分県日田市中津江村の鯛生、宮原線の肥後小国へと向かう壮大な計画もあったようですが、黒木駅より先に線路が敷かれることはありませんでした。1985年(昭和60年)4月1日、モータリゼーションの影響により矢部線「羽犬塚駅」-「黒木駅」は廃止となります。

矢部線の中心となっていた「筑後福島駅」跡は現在、踏切やレールが残され鉄道公園として整備されています。

筑後福島駅跡
筑後福島駅跡


公園横の藤棚には当時のレールが使われています。

八女市には樹齢600年以上といわれる黒木大藤があり、春には黒木大藤の開花に合わせた八女黒木大藤まつりが開催されます。
この藤棚も春が来れば優雅に藤の花房が咲き誇るようです。

筑後福島駅跡

終着駅の「黒木駅」は古い歴史を持つ城下町。お茶のブランド「八女茶」の発祥の地としても有名です。また、女優の黒木瞳さんはこの街のご出身。黒木瞳さんが宝塚音楽学校に入学された当時、八女市の出身の作家・五木寛之氏の作品が宝塚歌劇団により公演されていました。五木寛之氏は同郷の縁で「黒木瞳」の芸名を黒木さんに命名されたそうです。

黒木駅跡

「黒木駅」跡にはC11形蒸気機関車や新設された駅名標があり、廃線跡を偲ばせます。

黒木駅跡

「バルビゾンの道」として親しまれている矢部線廃線跡

矢部線の廃線跡の大部分は舗装された道路に生まれ変わっています。
そして廃線跡の一部は「バルビゾンの道」と名付けられています。

「バルビゾンの道」とは何でしょう?

明治後期~昭和期の洋画家、坂本繁二郎氏。
福岡県久留米市に生まれ、絵を学ぶために東京、フランスへ渡り、再び九州へと戻ります。
そして晩年はここ八女に居を構え、近くに建てたアトリエで数々の作品を描かかれました。

坂本繁二郎氏の住まいは「筑後福島駅」跡に近くになりました。生前は矢部線を利用されたことがあるかもしれません。

「八女」で描いた作品たちによって多くの賞を受賞した坂本繁二郎氏は洋画界の巨匠と呼ばれます。

なぜ、坂本繁二郎氏は「八女」にこだわったのでしょうか。

フランス留学の際に訪れた「バルビゾン」の風土と「八女」の風土が似ていることから「八女」の地を「東洋のバルビゾン」と呼び、こよなく愛していたそうです。

フランスのバルビゾン村やその周辺からは、ミレーやコロー、ルソーといった歴史的に有名な画家が多く輩出されました。バルビゾンで描かれた風景画や農民画などの作品はバルビゾン派と呼ばれています。

ミレー「落穂拾い」(Wikipediaより)
コロー「フォンテーヌブローの森の眺め」(Wikipediaより)
テオドール・ルソー「バルビゾン村の風景」(Wikipediaより)

おそらく皆さまも一度は目にされたことがある絵画ではないでしょうか。この素朴な雰囲気が何となく八女の風景に似ていませんか?

矢部線の廃線跡の道路が「バルビゾンの道」と命名されたことで、坂本繁二郎氏の功績は八女の地に永遠に語り継がれてれていくことでしょう。