兵庫県宝塚市「阪神競馬場」の前身は、1907年(明治40年)に兵庫県武庫郡鳴尾村(現・西宮市)に開設された「鳴尾競馬場」でした。その後逆瀬川付近へ移転が計画されましたが、予定地がアメリカ軍のゴルフ場になったため、1949年(昭和24年)に現在の仁川へ移転されました。
仁川の移転先用地は川西航空機宝塚工場跡。大きな工場でしたので通勤客輸送のため阪急今津線「小林駅」 – 「仁川駅」間には「鹿塩(かしお)駅」が設置されていました。最大時は一日に4万人もの利用者があったようです。
終戦直前に川西航空機宝塚工場周辺は大きな戦災に見舞われ、終戦とともに工場は廃止、「鹿塩駅」も廃駅となりました。
「鹿塩駅」は金龍寺の裏にあり、利用されていたのは1943年(昭和18年)12月から1945年(昭和20年)9月までの2年弱という短い期間でした。

踏切の名前に「鹿塩駅」の名残が見られます。

被災地跡に作られた「阪神競馬場」。移転時は工場の破壊跡が各所に見られひどい状態だったそうです。
また、武庫川と仁川に囲まれた地盤は水はけが悪く、入場客の評判も良くなかったようです。「阪神競馬場」のスタンド席は全国の競馬場でも珍しい北向きとなっていますが、これは脆弱な地盤を考慮してこの向きに設置されたようです。

また1951年(昭和26年)から1999年(平成11年)まで内馬場に9コースのゴルフ場があり、これも「阪神競馬場」のユニークな特徴の一つでした。

客足の少なかった「阪神競馬場」でしたが、改修に改修を重ね、今では立派な競馬場となり、開催日には多くの競馬ファンで賑わっています。
「阪神競馬場」最寄り駅の「仁川駅」と「阪神競馬場」は専用地下道、専用通路(サンライトウォーク)でつながっており、雨の日でも濡れずに入場することができます。


もし「鹿塩駅」が廃駅にならずに「阪神競馬場」開業後も存在していたなら、「鹿塩駅」が「阪神競馬場」最寄り駅となっていたかもしれませんね!?











コメント
鳴尾浜が出来たのは戦後ですね。
鳴尾競馬場(鳴尾西浜競馬場 鳴尾川の西岸、今は武庫川女子大付属高校)と鳴尾速歩競馬場(鳴尾東浜競馬場、今は武庫川団地)の2つがすぐ近くにあったそうです。
鳴尾競馬場の跡地は軍の飛行場となり川西航空機鳴尾工場のテスト飛行をし、鳴尾速歩競馬場の跡地は川西航空機鳴尾工場となっていました。
阪神競馬場も川西航空機の工場跡地ということで、3競馬場とも川西航空機と縁がありますね。
コメントありがとうございます!
ご指摘の内容、まさにその通りで大変助かりました。 さらに深い情報まで教えていただき、ありがとうございます。
地元の方からのお声は非常に貴重ですので、感謝の気持ちでいっぱいです。
これからもブログを覗きに来ていただけると嬉しいです。本当にありがとうございました!