近江鉄道「多賀大社前駅」から延伸していた線路!?住友セメント工場とキリンビール工場専用線廃線跡

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「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」という歌を聞いたことはありますでしょうか。

お伊勢とは伊勢神宮、お多賀とは滋賀県犬上郡多賀町にある多賀大社のことです。多賀大社は昔、多賀神社と呼ばれていました。多賀神社の祭神が伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)大神で、この二神が成婚されて天照大神(アマテラスオオミカミ)をお生みになられました。伊勢神宮の祭神が天照大神ということもあり、伊勢神宮をお参りするなら、多賀神社もお参りしなさいという意味がこの歌に込められています。

そのため、古くから伊勢参りとともにお多賀さんをお参りする旅程も自然に広まりました。多賀大社は今でも「お多賀さん」と呼ばれ親しまれています。


多賀大社の最寄駅は近江鉄道多賀線(彦根・多賀大社線)の終着駅「多賀大社前駅」です。

多賀大社前駅


「多賀大社前駅」から多賀大社に続く参道にはお土産屋さんが並んでいます。
「多賀大社前駅」は終着駅と申しましたが、実はかつてこの駅から二本の線路が延びていました。

多賀大社前駅

と言っても旅客用ではなく貨物用。1本はセメント工場へ向かう引き込み線。もう1本はビール工場へ向かう引き込み線でした。

国土地理院地図より編集

住友セメント工場専用線

多賀町の山間は、セメント原料としての石灰岩が豊富に採掘されました。
石灰岩の輸送のために1960年(昭和35年)東亜セメント多賀工場と彦根駅近くにある小野田セメント彦根工場間を結ぶ専用線が敷設されます。

「多賀大社前駅」からさらに東側に線路は続いていました。

国土地理院空中写真(1982年)
多賀大社前駅


両工場はその後、住友セメントとなり、鉄道による石灰岩輸送は1986年(昭和61年)まで続きました。
住友セメント工場の閉鎖後、跡地にはダイニック滋賀工場が建設されています。

鈴鹿山脈の鞍掛峠周を越えて三重県北部へと向かう国道306号線との交差部は立体交差でした。。今も橋台が残されています。

国道306号線と廃線後

反対側は開発が進められ、橋台は残っていませんでした。

エフベーカリーコーポレーションとダイニック工場の間の廃線跡

キリンビール多賀工場専用線

関西圏と中京圏の中間に位置している多賀町は、名神高速道路開通後はその立地の良さから企業誘致が行われました。石灰岩の山がもたらすのはセメント原料だけではありません。石灰岩が生み出す豊かな水資源はお酒の製造に適していました。1974年(昭和49年)にキリンビール多賀工場が建設されると、同時に「多賀大社前駅」と工場を結ぶ引き込み線が敷設されました。

国土地理院空中写真(1982年)

沿線には資材が置かれていました。この辺りからキリンビール多賀工場に向け専用線が分岐していました。この少し西には、1953年(昭和28年)まで「土田駅」がありました。

緩やかな曲線が鉄道の面影を残しています。

キリンビール多賀工場専用線廃線跡
キリンビール多賀工場専用線廃線跡

廃線跡の先には、キリンビール多賀工場の広大な土地が広がっています。この工場では、ビールや午後の紅茶などの製造過程を学ぶことができる工場見学が人気です。

キリンビール多賀工場

多賀大社で有名な多賀町。古い歴史を持つ反面、産業を支える企業が建ち並び、進化し続ける町でもありました。その影には近江鉄道の活躍が大きく関わっていたようです。

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