JR宝塚線「中山寺駅」より分岐していた軍用専用線、
「野里兵器廠専用線」と「獣医資材支廠長尾分廠専用線」。
「中山寺駅」より両線は同じ経路を辿りますが、大阪芸術大学短期大学部伊丹学舎を越えたあたりで二股に分かれます。
野里兵器廠専用線
分岐点から南東方向へと弧を描くのが「野里兵器廠専用線」。
その先には天神川という川が流れています。天神川は天井川のため「野里兵器廠専用線」は川の下をトンネルでくぐっていました。トンネルはレールがなくなった現在も、道路のトンネルとして利用されています。
廃線後、トンネルは補強されているようです。補強材が独特の色で塗装されているためユニークな雰囲気を醸し出しています。
「野里兵器廠専用線」廃線跡は中国自動車道へと吸収されますが、再び中国自動車道の南側に現れ、目的地の「野里兵器廠」跡を目指します。
「野里兵器廠」では太平洋戦争中、兵器・弾薬・機材などの補給が行なわれていました。
宝塚市山本野里3丁目付近にあり、跡地には陸上自衛隊川西駐屯地など自衛隊関連の施設が建ち並びます。
獣医資材支廠長尾分廠専用線
「野里兵器廠専用線」との分岐点から南方向へ進んでいたのが「獣医資材支廠長尾分廠専用線」。
「獣医資材支廠長尾分廠」は1942年(昭和17年)に旧長尾村に設置された施設です。
施設内では包帯・医薬品の管理や軍用馬の蹄鉄に関する研究などが行われていました。
馬の蹄の破損を防止し、摩耗を防ぐための蹄鉄。
軍用馬がまだまだ活躍していた当時、蹄鉄の技術はかなり重要視されていたようです。
軍の施設は、兵器を作るだけでなく様々な用途があったのですね。
獣医資材支廠長尾分廠跡は終戦後、外地からの引揚者のための生活施設「長尾寮」となりました。
獣医資材支廠長尾分廠の門柱だけが今も残され、説明板とともに歴史を語り続けています。