めまぐるしい和歌山駅周辺鉄道網の変遷
1900年(明治33年)、まず紀和鉄道により五条駅 – 和歌山市駅間の路線の開業により湊町〜王寺〜高田〜和歌山というかなり遠回りな大阪 – 和歌山間の鉄道アクセスが完成します。
その3年後の1903年(明治36年)に難波 – 和歌山市間全通させた南海鉄道(現・南海電気鉄道)。
大阪方面から和歌山へのアクセスが一気に向上します。
1930年(昭和5年)にはJR西日本阪和線の前身である阪和電気鉄道が大阪-和歌山間に開通。
大阪から和歌山を目指す2本のルートが誕生します。
そして、阪和東和歌山駅から和歌山駅を結ぶ路線が開通します。
阪和電気鉄道は海岸を離れた直線ルートをとったことで、1933年に阪和天王寺 – 阪和東和歌山間45分運転ノンストップの「超特急」が「大阪 – 和歌山間」を驚異の45分運行が可能となります。
(現在阪和線を走るJR特急くろしおが同区間をノンストップで約43分)
そして、東西を走る紀和鉄道と南北を走る阪和電気鉄道の交差部に駅が誕生します。
1932年(昭和7年)に阪和電気鉄道「紀伊中ノ島駅」開業。
1935年(昭和10年)に和歌山線(紀和鉄道は国有化)「紀伊中ノ島駅」も開業。
それぞれに駅が設置され相互に乗り換えが可能な駅となります。
和歌山駅には和歌山機関庫も置かれ、和歌山の中心をなす大ターミナルでした。しかし、阪和電気鉄道が和歌山のターミナルを東和歌山駅に選んだことで。和歌山駅の重要性が失われていき、和歌山駅の名を東和歌山駅に譲り和歌山駅は紀和駅へと改称されます。
1972年(昭和47年)3月15日のダイヤ改正で和歌山線の列車がすべて和歌山駅へ直通。田井ノ瀬から紀伊中ノ島駅を経由して紀和へ向かう和歌山線は支線となり、1974年(昭和49年)9月30日で廃止となります。
紀伊中ノ島駅に残る謎の遺構
紀伊中ノ島駅には和歌山線の駅舎とホームが残っています。
開業時からの駅舎は、どことなく懐かしさを感じます。
ホームには今にも列車が走ってくるようです。
知らない人がこの駅に来たなら、実際の駅舎と間違えてしまいそうですね。
めまぐるしく変化した和歌山市街の鉄道網。和歌山線の通っていた紀伊中ノ島駅のホームに立つと、その歴史が垣間見れるような気がします。