1926年(大正15年)、阪急宝塚本線・神戸本線の高架化の際に、残った旧線を利用して「阪急北野線」が誕生しました。
「梅田駅」-「北野駅」を結ぶ800mの路線です。
「北野駅」は「済生会病院前交差点」付近にありました。
現在の「阪急大阪梅田駅」からは、電車に乗るほどの距離でもありませんが、当時の「梅田駅(現・阪急大阪梅田駅)」は国有鉄道(現・JR)大阪駅よりも南側にあったため、大阪市電からの乗り換え客を含め、そこそこの乗客があったようです。
「阪急北野線」梅田駅から一つ目の駅、唯一の中間駅だった「茶屋町駅」。
現在茶屋町界隈は、多くの若者で賑わっています。
「茶屋町」という名前の由来は、大坂と西宮を結ぶ街道「中国街道」沿いの茶屋がこの辺りにあったという理由からのようです。
1990年頃、この場所に梅田ロフトや毎日放送の本社社屋が建てられる等、再開発が進み、オシャレな街へと変貌しました。
阪急阪神ホールディングスグループの梅田芸術劇場や、阪急茶屋町ビルなど阪急関連の建物が立ち並びます。
「茶屋町」跡付近には「阪急古書のまち」がありました。
戦後、阪急の創業者・小林一三氏の発案を元に阪急電車の高架下に「古書店街」が形成されました。文化人の側面も持たれていた小林一三氏ならではのアイデアですね。
現在「阪急古書のまち」は「阪急大阪梅田駅」付近へ移転しています。
終着駅の「北野駅」で、阪神北大阪線「北野駅」と接続していました。
付近には「阪急電鉄本社ビル」があります。
1949年(昭和24年) に「阪急北野線」は休止されます。
しばらく放置されていましたが、10年後の1959年(昭和34年)…。
「阪急北野線」の線路用地を使用して阪急は宝塚本線を複々線化。その線路を京都本線の梅田駅乗り入れ用の線路として利用します。
大都会の廃線(休線)復活劇!?阪急京都本線がスムーズに梅田駅へ乗り入れできたのはまさに「阪急北野線」のおかげだったのですね!