福井県の敦賀市は人口6万6千人ほどの小都市ですが、鉄道が敷設されたのは1882年(明治15年)とかなり早い開業でした。
「新橋駅 」-「 横浜駅」間の鉄道開通が1872年(明治5年)なので、日本初の鉄道路線が開通からわずか10年後のことです。
日本海の小さな街になぜこんなにも早く鉄道が通ったのでしょう。
敦賀港に開業した駅の名前は「金ヶ崎駅」と言いました。
近くの金ヶ崎城は、南北朝時代には、新田義貞と足利軍との戦場に、
戦国時代には織田信長と朝倉義景との戦場になるなど、日本史の数々の舞台となっています。
三方が山に囲まれていたことで古代より天然の良港であった敦賀港は、関西と国内を結ぶ物流の拠点となります。
江戸時代になると、北陸地方の米や北海道のニシンや昆布が敦賀港を経由し、日本各地に運ばれるようになり日本有数の港として大きく発展しました。
そして明治時代、日本に鉄道が誕生すると輸送のさらなるスピード化、効率化に向け敦賀にいち早く鉄道が建設されたのです。日本海側最初の鉄道の誕生です。
「金ヶ崎駅」と滋賀県の「長浜駅」間が開通されると、「長浜駅」からは琵琶湖の水運により関西方面と結ばれました。国内輸送は水運から鉄道へと一気に変わります。
その後、敦賀港は貿易先を海外に目を向けます。
ロシア帝国のウラジオストクとの間に航路が開かれると、ウラジオストクへの定期船に接続する国際列車が「新橋駅」と「金ヶ崎駅」との間に運行されます。
国際都市へと発展していく敦賀。
「金ヶ崎駅」は1919年(大正8年)に「敦賀港駅」に改称されます。
1932年(昭和7年)、「敦賀港駅」から1.2km先の「敦賀新港駅」まで鉄道が延伸されます。
しかし1987年(昭和62年)、国鉄分割民営化ともに旅客営業が廃止され、「敦賀港駅」はJR貨物に継承されます。
時代の流れとともに貨物輸送はトラックへと切り替わり、2009年(平成21年)に「敦賀駅」-「敦賀港駅」間は休止、2019年(平成31年)に正式に廃止となります。
廃線となった敦賀港線(「敦賀駅」-「敦賀港駅」間)。北陸本線からの分岐部分はすでに撤去されている部分もあります。
しかし、敦賀港線の大部分は現役当時の姿を残しています。敦賀市や福井県ではこれらのレールを再利用して、観光用に蒸気機関車を走らせる案も浮上しているようです。
敦賀港駅(金ヶ崎駅)跡にはランプ小屋が保存されており、開業当時のランプ小屋を復元したものやパネルなどが展示されています。
港と鉄道とともに栄えてきた街「敦賀」。敦賀の街には旧敦賀駅舎を移設して建てられた鉄道資料館などもあり鉄道の歴史を大切にしていることが十分伝わってきます。
2024年春の北陸新幹線「敦賀駅」延伸に向け、敦賀では豊富な鉄道遺産を活かした構想が考えらているようです。敦賀駅構内にあった転車台を敦賀港駅(金ヶ崎駅)に移設する案もあるそうなので蒸気機関車による敦賀港線復活プロジェクトも夢ではなさそうです。今から楽しみですね。