南海・浅香山駅から延びる廃線跡 鉄道の歴史と共に歩んだ梅鉢鐵工所の専用線

スポンサーリンク

地図を眺めていると妙な道路や住宅の並びに気づくことがあります。線路沿いより分岐し、曲線を描きながら延びていく道路。調べてみるとやはり廃線跡だったことがわかり、ニンマリすることも。
大阪府堺市、南海本線「浅香山駅」より北西方面へ弧を描く道路。
偶然見つけたこの道路はまさしく廃線跡でした。

浅香山駅
弓なりに続く住宅や道路


廃線跡の先は府道30号線。その先にはかつて梅鉢鐵工所(うめばちてっこうしょ)という鉄道や路面電車の車両を製作していた工場がありました。
古来より金属加工の盛んだった堺市。鍛冶業の家庭に生まれ育った梅鉢安太郎氏が明治時代に創業した工場。
南海本線から分岐していた廃線跡は梅鉢鐵工所の専用線だったのです。

府道30号線の通る遠里小野町一丁交差点
国土地理院地図より編集


梅鉢鐵工所は本社と西工場・東工場に分かれ、本社・西工場は七道東町、東工場は砂道町にありました。
両工場は線路で結ばれていましたが、間に阪堺線が通っていたため、専用線路と阪堺線は平面交差されていました。

開業当時、梅鉢鐵工所での製造は、南海や京電(京都電気鉄道)の車両が多かったようです。その後、赤穂鉄道、西大寺鉄道、井笠鉄道、熊延鉄道、さらには大都市の路面電車へと日本各地に供給を広げます。
そして海外での需要が高まると、各国への輸出も行われました。

その後、京成電気軌道(現・京成電鉄)の傘下となり
1940年(昭和15年)に鳳工場へと移転。
1941年(昭和16年)に帝國車輛工業株式會社に改称、合併、譲渡などを経てJR東日本の子会社の総合車両製作所和歌山事業所となりました。

鉄道の歴史に深く関わっていた梅鉢鐵工所。

京電より京都市電に引き継がれた「京都市交通局狭軌1形電車」。この電車も梅鉢鉄工所製です。現在、京都・梅小路公園に動態保存されています。動力はリチウム電池に変わりましたが、今でも元気に走っています!

京都市交通局狭軌1形電車(梅小路公園)