都電専用軌道の廃線跡紹介!あの新宿遊歩道公園や池之端児童公園も!?

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都電荒川線が残された理由

東京の市街に最大時には40路線を保有していた時代もあった都電。しかし現在、残っているのは都電荒川線だけです。「早稲田駅」から「三ノ輪橋駅」までわずか12.2kmを1時間弱かけて走る都電荒川線。全線通して乗られる方は多くありませんが、住民の足として重要な役割を果たしています。この区間が廃止を免れた理由は、路線のほとんどが専用軌道だったためです。

都電荒川線

専用軌道とは鉄道専用の敷地内に敷かれた軌道のことです。路面電車のように道路上に敷設された軌道は併用軌道と言います。併用軌道の区間が廃線となれば、その区間に路線バスを運行することで代替できますが、専用軌道が廃止となった場合、代替輸送が困難となります。都電荒川線の区間に関しては、専用軌道を道路に転用する案もあったようですが環境の悪化が懸念されたことで、存続が決まりました。

廃止となった都電のほとんどは併用軌道でしたが、都電荒川線のように専用軌道の区間は他にもありました。

新宿遊歩道公園「四季の路」(都電13系統)

人通りの多い新宿の一角にオアシスのような空間があります。新宿遊歩道公園「四季の路」。1970年(昭和45年)に廃止となった都電13系統(新宿駅前~水天宮前)の専用軌道跡です。東京都より廃線跡を譲り受けた新宿区が遊歩道に整備しました。靖国通りから区立新宿文化センター方面へと向かう抜け道のような曲線に廃線跡の面影を感じることができます。

新宿遊歩道公園「四季の路」

実際にこの区間が旅客用に利用されていたのは1948年(昭和23年)まで。それ以降は大久保車庫へと向かう回送用の路線として利用されていました。
大久保車庫跡は現在、区立新宿文化センターとなっています。

この遊歩道のそばには新宿ゴールデン街があります。それにもかかわらずひっそりとした空間なのは背の高い木々に囲まれているせいでしょうか。車はもちろん、自転車の通行も禁止されていますので安心して散歩を楽しめます。

新宿遊歩道公園「四季の路」

池之端児童公園(池之端七軒町停留所)

上野公園前から池ノ端二丁目までの区間も専用軌道でした。専用軌道は不忍池の東側に沿って敷かれ、不忍通りへと向かっていました。不忍通り付近の池之端七軒町停留所跡地は池之端児童公園として整備され東京都交通局7500形電車(7506号)がレールとともに保存されています。

池之端児童公園

一之江境川親水公園(都電26系統/城東電車江戸川線)

江戸の東の出入り口として栄えていた今井。小松川橋と今井を結ぶ街道は今井街道と呼ばれています。今井には「今井の津」という船着場があり、江戸川を渡る「今井の渡し」が江戸と船橋、佐倉、成田を結ぶ役割を果たしていました。1925年(大正14年)今井街道の南に城東電車江戸川線という城東電気軌道株式会社経営の路面電車が開通します。1942年(昭和17年)に東京市の市電となり、翌年の都制施行によって「都電26系統」となりました。「都電26系統」は専用軌道でしたが、1952年(昭和27年)にトロリーバスへと転換されました。そのトロリーバスも、1968年(昭和42年)に廃止となりました。

今井街道沿いの「一之江境川親水公園」には路面電車時代を忍ばせるモニュメントがあります。

「一之江境川親水公園」は水と緑が豊かな憩いの場です。路面電車時代を思い浮かべながらの散歩は趣があり、ひとときの安らぎを与えてくれます。

亀戸緑道公園・大島緑道公園・南砂緑道公園(都電砂町線)

都電砂町線(水神森-洲崎間)も専用軌道の多い路線でした。専用軌道跡は亀戸緑道公園・大島緑道公園・南砂緑道公園に整備されています。廃線跡にはレールの一部や車輪などが保存されていますので、廃線マニアにはかなり見ごたえのある区間となっています。専用軌道が多いにもかかわらず廃止となったのは、近くに明治通りが通っていたからでしょうか。この区間に地下鉄は通っていませんが都バスが代替交通の役割を果たしています。廃線ルートについて詳しくは下記のページをご覧ください。

都電砂町線(城東電気軌道)廃線跡は緑豊かな緑道公園

都電恵比寿長者丸線廃線跡

都電恵比寿長者丸線(天現寺橋-恵比寿長者丸)の一部区間も専用軌道でした。廃線ルートについて詳しくは下記のページをご覧ください。

都電「恵比寿長者丸線」廃線跡と未成線

都電の専用軌道の主な廃線跡を紹介いたしました。思わず見過ごしてしまいそうな都電専用軌道の廃線跡。まだまだ他にもあるようですので次の機会に紹介させていただきます。