熱海モノレール遺構が眠る!?熱海第一ビル地下3階の謎

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熱海モノレールとは、1960年代に熱海市で計画されたモノレールです。当時は東海道新幹線の開業によって熱海への観光客増加が見込まれ、交通渋滞の解消や観光振興のためにこの計画が持ち上がりました。

東京モノレールや日立製作所などが出資して熱海モノレール株式会社を設立。経路は熱海駅から熱海港までの約2kmを結び、日立アルヴェーグ式の跨座式モノレールで運行、途中に2、3駅の中間駅を設置、料金は100円均一とする計画でした。

当初、モノレールの熱海駅の駅前広場地下に設置予定でした。

熱海駅駅前広場

その後、駅前整備のため、モノレール駅建設予定地が熱海第一ビルの地下3階に移されます。

熱海第一ビル
熱海第一ビルの地下2階の駐車場へ向かう入り口
熱海第一ビルの地下2階の駐車場
熱海第一ビルの地下1階の通路

途中駅には銀座駅が予定されました。銀座はかつて熱海の中心部として、たくさんの観光客でにぎわっていた場所です。今ではレトロな雰囲気が人気です。

そして、公園前駅。公園とは、おそらく渚小公園のことでしょうか。渚小公園は「御神地」として奉祝神賑行事が行われる由緒ある公園です。

終着駅の熱海港駅は、アタミロープウェイ山麓駅付近の予定。

しかし、熱海モノレールの計画はなかなか進みませんでした。熱海第一ビル地下3階から海岸へと抜けるトンネル部分の地質が複雑で工事が困難だったことや、海上部分の波のうねりが高く作業日数に制約があったことなどが問題でした。

さらに、トンネル工事によって温泉源や水源に影響が及ぶことを恐れた旅館業者からの反対運動も起こりました。

1967年(昭和42年)3月31日に熱海第一ビルはモノレール駅を含む地下3階、地上9階の高層ビルとして完成しましたが、それ以外の大部分のモノレール工事は進まず、1970年代には計画は頓挫しました。

現在も熱海第一ビルの地下3階には幻のモノレール駅が眠っていますが、入り口は封鎖されています。一般に公開されることはありません。本当にプラットホームが残っているのかは、一般人には確かめようがありません。

かつて東京モノレールと接続する壮大な構想もあった熱海モノレール。羽田空港- 横浜 – 茅ヶ崎 – 小田原 – 熱海を結ぶというとてつもない計画です。もちろん建設されることはなく現在に至ります。

昭和時代には、団体旅行や新婚旅行のメッカとして、年間500万人以上の観光客が訪れるほどの繁栄を見せた熱海ですが、バブル崩壊やリゾート開発の多様化などにより、衰退の一途をたどるようになりました。

近年は、観光客数の回復傾向が見られ、行楽シーズンには、車の渋滞が見られます。熱海モノレールがあれば、渋滞は解消され、快適な観光地として魅力が高まるのではないでしょうか。

熱海モノレール計画が再浮上すれば、熱海第一ビル地下3階の幻のモノレール駅が日の目を見ることはあるかも!?坂道の多い熱海にはモノレールがちょうど良いと思いますが…。