現在の犬山市役所西側にあった木ノ下城。
織田信長の叔父である織田信康が小高い丘に移築し、犬山城として整備しました。
中山道沿いに位置する犬山の町多くの人々が集う城下町へと成長。
犬山城の城下には木曽川が流れる絶景が広がり、明治末期より犬山は観光名所として知られるようになりました。
この風光明媚な犬山に狙いを定めたのが名鉄でした。
1925年(大正14)年に名鉄は犬山遊園地を開園、翌年に「犬山駅」~「犬山橋駅(犬山遊園駅)」の鉄道を開通させます。
名鉄は1953年(昭和28年)には犬山成田山の誘致も行いました。
1960年(昭和35年)にはモンキーパーク(ラインパーク)、
1965年(昭和40年)に明治村、1983年(昭和58年)にリトルワールドなどを次々に開園させたことで犬山は巨大レジャーエリアとして発展していきます。
観光の中心となったのは「犬山遊園駅」。
1962年(昭和37年)には モンキーパークモノレール線(当初はラインパークモノレール線)が開業、「犬山遊園駅」が乗換駅となり、モンキーパークへと観光客を運びます。
しかし、ちょうどモータリゼーションの発達時期と重なり、モンキーパークモノレール線の利用者数はあまり伸びませんでした。
施設などの老朽化が進んできたため2008年(平成20年)にモンキーパークモノレール線は廃止となります。
犬山城へは隣の「犬山駅」よりも「犬山遊園駅」のほうが近いのですが、犬山駅〜犬山城の観光ルートが確立しているため、鉄道利用の観光客は「犬山駅」での乗降が多いようです。
1992年度の1日平均乗降人員、3,054人を記録した「犬山遊園駅」も今ではおよそ半分以下。
モノレール乗り場のなくなった「犬山遊園駅」の東側には、駐車場が広がっています。
多くの観光コンテンツを有する犬山ですが、回遊率が低いのは、やはり鉄道アクセスの不便さがあるのではなないでしょうか。名古屋から犬山までは名鉄で約30分と好立地ですが、そこから各方面へ移動する2次交通に不便さを感じます。そうなるとどうしても一箇所のみの観光で終わってしまうようです。
モンキーパークモノレール線開業当初は、モンキーパークのある「動物園前駅」から明治村への延伸構想もあったようです。もし各観光地がモノレールでつながっていたなら、犬山市内に広く分布する観光地めぐりがもっと便利だったかもしれませんね。
リニア中央新幹線開通に向けモンキーパークモノレール線復活は無理でしょうか。犬山の鉄道交通の不便さが解消されれば、さらなる観光発展と新しい客層開拓が実現すると思うのですが…。