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城東電気軌道から都電砂町線へ
水神森と洲崎を結んでいた私鉄、城東電気軌道。
その後、東京市に吸収されて、市電(都電)となりました。
1972年(昭和47年)11月12日に廃線となりましたが、
廃線跡の各所が緑道になっていますので
軌道がとてもわかりやすくなっています。
水神森駅の由来
出発の「水神森駅」とは「亀戸駅」のことで、近くの亀戸水神宮が駅名の由来だそうです。この周辺は森が広がっていたようです。
廃線跡の亀戸緑道公園と大島緑道公園
水神森より南へ向かう廃線跡は亀戸緑道公園となっていて、
緑豊かな散歩道となっています。
途中、頭の上を首都高速が横切ります。
この首都高速の下は暗渠となった竪川(たてかわ)という川が流れています。
竪川を渡る電車のために設置された橋は、今や人の往来する竪川人道橋に生まれ変わりました。
線路や車輪のモニュメントが当時の面影を偲ばせます。
竪川人道橋を南へ行くと廃線跡の緑道は大島緑道公園と名前を変えます。
新大橋通りを越えると
直線だった廃線跡は南西へと進路を変えます。
ゆるやかな弧を描くと明治通りと合流し
再び南へと進路を変えます。
南砂緑道公園
仙台堀を越えたあたりで進路を今度は西に変え、
今度は南砂緑道公園という緑道になります。
このあたり、春には100本ものソメイヨシノが満開になることで知られています。
南砂緑道公園の頭上に、越中島支線が通っています。総武本線支線である越中島支線は、1929年に小名木川の水運や物流連絡のため、「亀戸駅」から「小名木川駅」間を開業、その後、「越中島貨物駅」まで延伸された路線です。今でも日曜日以外の日には3往復の貨物ダイヤが設定されています。
越中島支線のターミナル「小名木川駅」は鉄道貨物輸送の拠点でしたが、廃駅となり、その広大な駅跡は巨大ショッピングセンターとなっています。
緑道脇の車輪のモニュメントが廃線の歴史を物語ります。
その先には長州藩大砲鋳造場跡があり、歴史のある場所であるということを実感します。
永代通りに合流し、しばらく西に進むと「洲崎電停」跡。
近くには洲崎球場などがあり、一大娯楽地として栄えていたそうです。
この廃線跡は専用軌道が緑道になっているので、
廃線跡を辿る時間がとても心地よかったです。