伊賀鉄道廃線跡は近鉄大阪線伊賀上野駅から名張駅へ(前編)

スポンサーリンク
スポンサーリンク

伊賀鉄道廃線跡へ

関西本線の「伊賀上野駅」から「名張駅」間を結ぶ伊賀鉄道が1922年に開通しました。
しかし、その8年後の1930年10月10日、参宮急行電鉄が「榛原駅」から「伊賀神戸駅」間を開通。路線が並行する伊賀鉄道(伊賀電気鉄道)の「名張駅」 – 「伊賀神戸駅」間を合併しました。
その後、「伊賀神戸駅」-「西名張駅(名張駅)」間は、大阪線と競合するため戦時中一旦休止。
戦後に営業が再開されるも、1964年10月に廃止となってしまいました。
廃止された駅は「美旗新田駅」、「西原駅」、「蔵持駅」、「八丁駅」 、そして「西名張駅(名張駅)」となります。

「伊賀神戸駅」から北西へ向かう廃線跡は舗装道路となり、痕跡は全く見当たりません。

伊賀神戸駅(庄田駅)跡


廃線跡は進路を南西方向に変えると近鉄大阪線の高架下をくぐります。このあたりに開業時の伊賀神戸駅(庄田駅)があったそうです。

ススキの生い茂る廃線跡は、もう痕跡は見当たらないのではと思わせます。

ススキを掻き分けた先には畦道が続きます。

小さな川を渡るガーター橋を発見。

伊賀鉄道廃線跡は藪の中

さらに先へ進むと藪の中へ…

足元はぬかるみにはまり、それでも無理して進むと
背の高いススキが行く先を阻みます。
どうしようもなくなり再び引き返し、一旦廃線跡を離れ舗装道路へ。

廃線跡と思われる築堤を横目に歩いていくと大きな灯篭に出会いました。


この先は初瀬街道のようです。

この辺りは次回に再チャレンジすることにして、近鉄大阪線の「美旗駅」へ。

「美旗駅」から近鉄電車で二駅先の「名張駅」へと向かいます。
「名張駅」より10分ほど歩き「西名張駅」跡へ。
現在は西名張郵便局となっています。


名張高校の裏辺りに「八丁駅」があったそうです。


「蔵持駅」跡の近くにガーター橋を見つけました。


廃線跡はまだまだありますが、今回はここであきらめることにしました。

この廃線区間は、現在の近鉄大阪線でいえば、伊賀神戸、美旗、桔梗が丘、名張とわずが4駅ですが、なかなか手強い廃線跡でした。
再び訪れることを誓い、廃線跡を後にしました。

後編へ続きます。