南海大浜支線の廃線跡から偲ぶ大行楽地「大浜公園」の面影

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大行楽地だった「大浜公園」

大阪府堺市の憩いのスポット。大浜公園。明治時代より公園の設備が整えられると、1903年(明治36年)に第5回内国勧業博覧会に選ばれ、堺水族館を建設。博覧会終了後も堺水族館は残り、まわりには海水を利用した浴場(潮湯)や劇場、海水浴場なども開設され、一帯が一大レジャー施設となりました。

阪堺電気軌道大浜支線

1912年(明治45年)4月には、観光客の足として阪堺電気軌道が大浜支線を開業します。

1915年(大正4年)阪堺電気軌道は南海鉄道と合併。
やがて時勢の影響により潮湯が閉場するなど大浜公園は賑わいはなくします。
そして1945年(昭和20年)、大浜支線は空襲により大きな被害を受けてしまいました。

その後、復興再開するも1949年(昭和24年)3月に休止。
岩戸景気がはじまる1958年(昭和33年)、工場建設のため海水浴場が閉鎖され、大浜はレジャー施設としての宿命を終えました。
休止の大浜支線は1980年に廃止となります。

大浜支線の廃線跡はどうなっているのでしょう。

大浜支線は、阪堺電鉄の「宿院駅」から分岐していました。

宿院駅

現在の国道25号線、フェニックス通りに沿って北西へ1kmほど進むと「水族館前駅」に到着します。

水族館前駅跡

大浜支線の「大浜公園前駅」は日本一低い山と謳われている蘇鉄山のそばにありました。

日本一低い山は二等三角点のある大阪市港区の天保山(4.53m)といわれていますが、一等三角点のある山で一番低い山は蘇鉄山(6.97m)だそうです。

終点大浜駅とラジオ塔

ラジオ塔

終点の「大浜駅」はラジオ塔近くにありました。

その昔、ラジオ受信機の普及していなかった頃、このラジオ塔が各地の公共空間に設置されていました。ラジオ受信機を内部に収めた建物で、ここ大浜公園にも設置されていたそうです。ラジオ塔のおかげで一般民衆もラジオを聴くことができました。

公園の中心あたりに大正時代の大浜公園の様子がわかる地図がありました。

「大浜駅」近くには潮湯、また駅の先は料理旅館が記されており、当時の賑わいが偲ばれます。

現在の大浜公園は、野球場やテニスコート、屋内プール、体育館などが設けられており、スポーツやレジャーなどに利用され、昔と変わらない憩いの場として愛されています。