都電「恵比寿長者丸線」廃線跡と未成線

都電恵比寿線(天現寺橋-恵比寿長者丸)

東京にお住まいの方でも、その過去を知る方はほんの一握りではないでしょうか。
都電恵比寿線が天現寺橋から恵比寿長者丸を結んでいました。
都電恵比寿線は、1913年4月27日(大正2年)に恵比寿(伊達跡)-天現寺橋間が開業、
1922年7月30日(大正11年)に 恵比寿-長者丸間が開業しましたが
1944年(昭和19年)に廃止となりました。

長者丸とはその名の通りお金間持ちの町。
このあたりは大きな括りで白金と呼ばれています。

その謂れは

応永年間(1394~1427年)。白金に移り住んだ豪族、柳下上総之介が大量の銀を持っていたことから、一帯は「白銀=白金」といわれるようになり、柳下家は代々「白金長者」と呼ばれていたといいます。その子孫が現在の長者丸付近に屋敷を構えたことから、「長者の城郭(=丸)」、そして「長者丸」と名が付いた、といわれています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b8e888ed0b0f84dc4daa03024b546b25acdee4ff?page=1

とのことです。

ブラタモリでタモリさんも白金を訪れていました。「白金」の名前の由来に疑問を持ったタモリさんは、あえてお金があることをアピールする必要があったのか?盗人の標的になるだけでは?と、この説に異を唱えていましたが、本当のところはどうなのでしょう。

都電恵比寿線の延伸計画

さて、そのようなお金持ちの町、長者丸を走っていた都電ですが、この先、山手線を越え、池上方面への延伸計画もあったそうです。

都電恵比寿線廃線跡

廃線跡や未成線計画の目立った痕跡は見当たりませんが、廃線跡や計画路線が道路となっているため、ぼんやりとした記憶は辿ることができるようです。

天現寺橋は、天現寺線「築地-中目黒(8系統)」、広尾線「品川-四谷三丁目(7系統)」、古川線「渋谷-金杉橋(34系統)」などが交差する交通の拠点でした。
いまでも交差点の目印として道路交通情報などでその名を耳にすることがあります。

天現寺橋

首都高速2号目黒線から逸れて長者丸へと向かいます。

恵比寿長者丸駅

三田丘の上公園の手前に恵比寿長者丸駅があったようです。

この先、三田丘の上公園を沿うように南へ曲がれば延伸予定の未成線跡へと続きます。