Contents
砧線の廃線跡
東京都の世田谷区にかつて存在していた東急砧(きぬた)線。1924年(大正13年)に開業し、東急電鉄「二子玉川園駅」(今の二子玉川駅)と「砧本村駅」(今の駒澤大学玉川キャンパス前)を結んでいました。
砧線の開業目的は砂利輸送でした。建築材料が木材からコンクリートへ移行、コンクリートの材料となる砂利運搬に、砧線は大きな力を発揮しました。
多摩川の砂利は渋谷に運ばれると、住宅地や道路の建設に使用されました。
折しも、砧線の開業は関東大震災の半年後であったため、市街地復興に大いに役立ちました。
その後、砂利の枯渇や規制などの理由で、砧線は旅客用に転換。昭和30年代後半になると沿線人口が増え始めたことにより、通勤や通学などに乗客で賑わいます。
玉川線との乗り継ぎで渋谷へとつながる大変便利な路線でした。
しかし、その玉川線も、玉川通り(国道246号)上の首都高速3号渋谷線の建設や、営団地下鉄銀座線と接続する地下鉄(のちの新玉川線)建設の計画等により、1969年(昭和44年)5月11日に廃止。砧線も同じく全線廃止となりました。
砧線の廃止後、跡地は歩道や自転車道、道路として有効活用されています。
それでは、砧線の廃線跡を辿ってみましょう。
中耕地駅
「中耕地駅」駅跡には石碑が建てられています。駅名から想像するに、当時は、田園地帯だったようです。
「中耕地駅」跡周辺の砧線跡は「砧線跡歩道」として整備されています。
吉沢駅〜吉沢橋
野川を渡る吉沢橋は、砧線の廃止後、道路用に付け替えられていますが、橋上には、砧線の説明板の碑やレリーフが飾られています。
伊勢宮河原駅・大蔵駅
戦前には、砂利の積み込み用に「伊勢宮河原駅」「大蔵駅」という2つの駅が存在していたようです。
砧本村駅
「砧本村駅」跡地は公園に、駅前はバス乗降場となっています。
現役当時の砧線はどんな様子だったのでしょう。東急グループさんの公式ツイッターより貴重なお写真を拝借。
東急グループさんの公式ツイッターはさらに貴重な情報もつぶやいてくださってます。
なんと砧線は「砧本村駅」から成城、狛江方面に延伸する構想があったそうです。もし延伸していたなら砧線は廃止にならなかったもかもしれません。
また、国分寺まで延伸する計画のあった新奥沢線に関しましては下記の記事をご覧下さい。
東急池上線幻の延伸計画、新奥沢線・白金線・泉岳寺線…その由来やルーツを探る
東急にも、いろいろ壮大な計画があったようです。いろいろ妄想してみると楽しいですね。